北村 禎宏

2019 16 Mar

クライストチャーチが…

クライストチャーチが悲しみに包まれ、世界が怒りに震えている。

 我が故郷の姉妹都市でもあり、その昔、私を暖かく迎えてくれた街が惨事に襲われた。倉敷市で中学高校を過ごした私は、大学3年のとき倉敷の姉妹都市であるカンザスシティへグッドウイルミッションとして20日ほど滞在する経験に恵まれた。

 当地での二軒の家庭での一週間ずつのホームステイは目から鱗体験の連続であった。前後のサンフランシスコ、ロス、グランドキャニオン、ハワイでの
観光も、岡山の田舎者の私にとっては世界感が大きく変化するビッグイベントであった。

 それが昂じて、オーストラリアでワーキングホリデーにチャレンジし、五ヶ月間のシドニー滞在後、日本に帰る前におよそ1ヶ月の旅に出た。東海岸をブリスベンからケアンズまで北上して、クライストチャーチに飛んだ。頼りは、グッドウイルミッションのK団長から預かった一枚の写真のみ。クライストチャーチから倉敷を訪れたクリス(警察官)とK氏とのツーショットだ。到着後、さっそく警察署を訪ねたがあいにくクリスは外出中。

 当該写真を受付の方に預けて、バジェットアコモデーションにチェックイン。夕食前に遊戯室で卓球に興じていると突然クリスが目の前に現れた。当然、何の権利義務もない初対面であったが、すぐに荷物をまとめて家に来いという。それから数日、突然の異邦人の来訪にもかからわず、宿のみならず食事に至るまで大変お世話になった。

 80坪から100坪はあろうかと思われる一軒家に弁護士(名前は失念した)とシェアリビングしていた。その方も喜んで夕食のレストランにも付き合ってくれた。鹿肉(ヴィネスン)を食したのも衝撃的初体験であった。家が600万円ほどで、三菱のミラージュを300万円で買ったことを自慢しているクリスの笑顔が思い出される。

 帰りの航空券はシドニー~シンガポール~伊丹だったので、トランジットでシドニーに寄る算段が大間違いであることが判明した。ワーホリビザは一旦出国すると
別途観光ビザがなければトランジットであっても再入国はできないと。大慌てで南島での観光を諦めて北島のウェリントンの日本大使館までビザを取得する旅に出るはめになった。

 クライストチャーチから南島北端のフェリーターミナルまでは、はじめてのヒッチハイクにチャレンジ。ドライバーの方からはランチまでご馳走になり、ここでもホスピタリティに大感激。道路にはほとんど信号機なるものがなく、高速道路もなく、羊の群れが道を横切りはじめると何十分も信号待ちならぬ羊の群れ待ちをしながら。フェリーのデッキでは、船尾を追いかけてくるカモメ(群れではなく一羽)と対話しながら…。

 まるで昨日のことのように思い出されるのは、のどかな彼の地の情景と、何よりも人々のホスピタリティの暖かさなのに…。世界の緊張が高まったのか、人々の心がすさんでしまったのか、悲劇は起こってしまった。

 多くの外来語が輸入され普通に使われている日本であるが、山本七平氏が全く日本に流入しなかった英語として指摘しているのが「レイシズム」および「レイシスト」である。詳しくは氏の“日本人とアメリカ人”を参照されたい。適切な訳語であるかどうかは別として、「人種差別主義」および「者」ということになる。

 ヒューマンレイスといえば人類ということになるが、私たち人類はその下位概念として民族や宗教という厄介なコミュニティをぶら下げてしまってここに至った。古くはホモサピエンスvsネアンデルタールという対立(共存or与り知らぬ?)構造もあったが、過激な排斥行動が顕在化する現代に何が起こっているのだろうか。

 大和言葉で言うと「虫酸が走る」ということか。バタ臭い、おっさん臭い、キムチ臭い、田舎臭い…。ダイバーシティ・インクルージョンとは言いながら、道のりは険しい。