上野 君子

2018 19 Jun

つながっているということ

物忘れもひどい、新しいことは覚えられないと、年々ろくなことはないが、ネットワークは広い方だと思う。そりゃそうだろう、半世紀以上も生きて、30年もフリーランスで仕事をしていれば、普通の人に比べたら知人が少ないはずはない。

というより、私の財産は人脈(ネットワーク)だけともいえる。

 

ある特定の人の固有名詞が話題にあがった時、仕事柄、過去に取材で会ったことがあるというのをはじめ、それは友人の友人とか、それは同級生の兄弟とか、それは遠縁の親戚とか、つまり、どこかでつながっているという場合がある。

ああ、そう、そうと、自分の頼りない脳の記憶を整理するかのように、そのつながりをすぐ口にしてしまう癖があるのだが、そういうことが傍からは嫌味に聞こえることもあるようで、(個人情報の問題も含めて)控えめにしなくてはならないと思う。

また、自分にとっての大切な人を、別の大切な人と結び付けたいといった思いも働いてしまうのだ。

 

ネットワークは自分にとってのアイデンティティでもある。

家族や会社などの帰属する社会をあまり持たない人間にとっては、無意識のうちにも、どこかでつながっている人を求める気持ちが強いのも確か。

SNSは、その人と人とのつながりを認識するメディアである。そこには新しい出会いがあり、過去の交遊を復活させてくれることもある。

それは儚い幻想に過ぎないかもしれないが、私にとっては大いなる励ましの力になっているのだ。