船橋 芳信
服作りの動機!
ファッションに携わって、40年は過ぎようとしている。服作りを生業にして行くのに、
色んな動機が生まれては消え、消えては又、生まれて来た。
当初は、食べて行くのに必要だと言い聞かせていたような気がする。型紙作り、パターンナーになれれば、技術の習得ならば、
何とかなるのではと考え、パターンナーを目指した。5年程東京のパターンメーカーで教えていただいた。
それからイタリアへ渡ってきた。フリーのパターンメーカーとして、主にボローニャを中心に、活動し始めた。
ミラノに拠点を移してからは、自分のコレクションを作り始めた。それからが、物作りの動機とのコミュニケーションが始まる。
デザイナーとしての勉強も、資質もないパターンナーとしては、、物作りの動機を自分の中に生み出す事は、
必要欠くべからざる事であった。パターンナーとしてのキャリアから、当初は形を売ると言う動機で、ファッションと関わった。
そのためにパリ、ミラノでのファッションショウには、足繁く通った。
1980年代以降は日本旋風がパリ、イタリアのファッション界を席巻した時代である。
羽織る、覆う感覚の着物風のモデルに合わせた服を作った。やがて、日本旋風は、アルマーニを筆頭とするソフトスーツに弱められて行く。
ソフトスーツが台頭してくると、イタリアの生地産業は、それに見合ったコンサバな生地の供給に、ビエラ、プラトーの生地産業は、
其のノウハウを遺憾なく発揮して、イタリア生地産業界を不動のものとして行った。
其のファッション界の動向のもと、私の服作りは、イタリアの生地を売り物としたコンサバなファッション、
自称生地売り家として、ビエラの生地を使い始めた。物作りの動機は素材、良い生地の選択が物作りの視点となって動機を支えて行く。
イタリアのファッション業界を支えるのは、ジャーナリズムではなく、そして政治力でもなく、生地産業、
ビエラ地区のウール産業、コモのシルク、ノバラ地区の綿、プラトーの化繊織物、それらを展示する、生地の展示会、
MODA INN, IDEA COMO, IDEA BIELLA, PRATO EXPO,SHIRTS AVENUE,
イタリアの生地産業界は80年代に台頭してきた多くのイタリアンデザイナー達に、多くの多彩で高品質な多くの種類の生地を、
供給し続けて行った。
90年後半に入ると、折から始まったグローバリゼーション、物流改革、革命と名を売った工場の流動化が始まり、
多くの工場は賃金の安い後進国を徘徊して行く。其のグローバリゼーション化の波に産業体は、資本主義の金の流れに、身を任せ、
賃金の安い国へと、水の高きから低きへと流れるかの如く、移動するのである。
其の流れの中で、資本は巨大化し、ファーストファッションの転機へとファッション業界は、高級化の波とに2分化されて行く。
21世紀に入った今、ファッション、服を着ると言う人間の持つ文化的日常行為は、づれが生じ、
其の文化的行いは、無感動さ、其の生彩の無さと無気力さを象徴している。
物作りへの動機探しは、自己のアイデンティティとの対話、何時しか服に色を付ける、製品洗い染め,スプレーでの吹き付け、
服の独自性を求めて、加工的服への追求を行なっている。
昨今の、坐禅、茶道への傾倒が、物作りへの意味を要求し始めている。其の対話を通して、どのように服を作って行くのか?
服作りに時間をかけて、一着一着、一歩、一歩、作って行きたい。