内田 文雄

2017 18 Dec

私が中国で起業することになったキッカケ 6!(44歳、濃いユニクロ新人時代編)

ワールドを円満退社してほんの少しだけ時間ができたので、ニューヨークに1週間行きました。

目的は、アメリカのカジュアルマーケットを知っておく必要があると思ったことと、2006年にユニクロが

SOHOにオープンする予定があるのでその場所も見ておきたかったから。

 

本音を言うと、ワールド退社にあたり本当に色々あったので、精神的にまいっていたので全てをリセットしたくて

行ったんです。

実はこの時が遅まきながら人生初のニューヨークでした。LAは学生時代に数ヶ月住んでましたが、ニューヨークは

何もかもが刺激的な街でした、街自体が気持ちよかったし、元ワールドの女性の方々(是枝さん・東末さん)にも

お会いできたし、ユニクロでの仕事や、その先のVMDとして上海で起業することなどを、色々思い描く事ができる

贅沢な時間を過ごすことが出来ました。

 

そして帰国して、当初予定より1ヶ月遅れの2005年3月末に、ようやくユニクロに仲間入りできました。

7-8人の「レイアウト/VMDチーム」内の挨拶もそこそこに、皆さんは黙々と脇目も降らずにPCに向かっています...笑。

レイアウトは商品配置の標準化を、VMDは前年にできたばかりでユニクロのこれからのVMD開発、構築を担うチーム

この2つがひとつのチームになっていて、商品系の中に属していました。

 

忘れもしないのは、2005年ユニクロ入社初日の退社時間は夜中の12時、遡ること1984年ワールド入社初日の

退社時間はなんと夜中の3時でした。21年間の時間を経ても勢いのある会社は凄いな〜。というのが素直な感想、

同時にこの効率の悪さはなんとかしないとな〜とも思っていました。

 

 

初日は、チームのリーダーや、他のメンバーから私に対して、コレして、アレしてという指示は一切なし。仕方なく

私からチーム各人が何をしているのか?

ヒアリングしたり、初日に支給されたノートPCを使い、社内イントラを見て社内状況を研究していました...笑。

皆忙しいのは分かるけど、誤解を恐れずに言うと「何てホスピタリティが無い人達なんだろう」と思ってました。

次に誰かがこのチームに異動してきたら、この部分は私が何とかしないとなぁと思ったものです。

 

入社から1週間が過ぎた頃、「何で私の歓迎会のお知らせが来ないんだろう...」「えっ?もしかして俺歓迎されて

いないの...」と思い、恐る恐るチームリーダーに

「歓迎会なんかしませんよね...」と遠慮気味に聞いたら、「あ〜そうでしたね、すみません、やりましょう!」と

言う気の無い返事。人に興味が無い会社なのかなぁ...と思いながら通称タバコ部屋(喫煙者がタバコを吸う部屋)で

知り合いになった人達に歓迎会の事を聞いたら「マジですか?我々のチームはすぐにやりますよ!」「レイアウト

VMDチームメンバーはお酒を呑む人が少ないのと、忙し過ぎて、そんな発想がないのでは?」とまで言われる

始末でした。それから1週間して、ようやく歓迎会を開いて頂きましたが...。

 

ファーストリテイリングHP/事業紹介ページより引用。私が入社した2005年は、2001-2年のフリースブームの

反動余韻が残る時期で、売上的には厳しい時代でもありました

 

 

 

入社面接時に中国を中心とした海外領域の業務を希望していましたが、当時はユニクロが標準店(660㎡)から

大型店(1,500㎡)へと大きく舵を切った時代でした。日本での案件が中心で、銀座店や、その時代に日本全国に

できていたイオンモールに出店する大型店の全体監修(レイアウト、VMD)が主な仕事になっていました。

この大型店の開発を核にしながらも、同時に既存の標準店、小型店の商売を同時に経験できた事が、その後の

ユニクロ日本、ユニクログローバルでのVMD(後にIMDへチーム名称変更)の拡大に大きく寄与できたと思います。

 

ユニクロに入社して早1ヶ月が経ち、少し余裕ができたころにふと思った事は、「このユニクロは何て真面目で愚直な

会社なんだろう、本部も店も本当に良い人ばかりだし」と。

本部スタッフは、新卒で店舗経験をしてきた人達、そして私のように様々な業界から中途入社した人達の混合された

組織、それらがうまく融合している感じでした。

柳井会長含め、社員全員が、商売に日々真剣に向き合っている姿は、私が期待していた以上、まさに小売業そのもの

でした。残念ながら私がいたワールドでは、そこまでの熱さは感じられませんでした(あくまでも私見です)

 

 

次回は「ユニクロが銀座に大型店をオープン編」です。

 

それでは!