内田 文雄

2017 16 Dec

私が中国で起業することになったキッカケ 5!(退職引き留め、後任探し、業務引き継ぎ編)

ということで、12月末に上司に退職希望を報告しました。ユニクロでの仕事スタートは2月中旬の予定だったから、ワールドの規定に則り、遅くても退職1ヶ月前(1月初め)に申請をする必要があるから、だから退職1ヶ月半前(12月末)に報告をしたわけです。

 

そうしたら、前回のブログにも書かせてもらいましたが、上司からは「何故今頃転職?」「何故、ユニクロなんかに...!」と、ユニクロを見下した言い方にメチャクチャ腹が立ちました。

 

そのままでは結論が出ないので、丁度年末年始休みに入る時期だったので「1週間よく考えて、年明けに話をしよう!」となり、私としてはユニクロに2月中旬に入社する事を決めていたので、「1週間経っても何も考えは変わらないけど」と思っていました。年が明けた業務初日に上司と再度話し合いの場を持ち、私から「1週間前と結論は同じです、2月初めを持ってワールドを退職し、ユニクロに行きます」と話すと、上司からはあり得ない言葉が...「では、内田自身が後任者を探し、面接し、業務引き継ぎも行った上なら、辞めてもOK」と。

 

どうですか?この退職に対する仕打ちとしか言いようのない、言葉は。上司は1週間の休みでこのことを考え出したのでしょう。

このブログを見ている方に尋ねたいのですが、会社を辞めるときに、一般的に後釜探しますか?更に業務引き継ぎまでも行いますか?

私自身は人事規定的にも、そんなこと(後任者探し、業務引き継ぎ)をする必要もないことを知っていましたが、円満に退職をしたいためその上司の言う通りにしました。

私が入社した1984年に竣工したワールド本社ビル

 

それからが大変でした。社内の知人に声掛けをして海外でのVMD業務の興味が有る人を知らないか?と人づてに伝えてもらい、何人も会って話をしましたが、反応はいまいち。中々適任者が見つかりません。そこで私が昔から知っている後輩に声をかけ、直接面接をした結果、「何とか前向きに考えます」と言ってくれたので、少しホッとしたことを覚えています。その後輩のE氏には感謝しています。

 

今度は、そのE氏に対して約1ヶ月半の業務引き継ぎの実施、この時点で既にユニクロとの約束である2月中旬を超えていました。ユニクロからは「約束のタイミングになっていますが?」と何度も質問されました。「申し訳ないです、立つ鳥跡を濁さずではないですが、キチンとしてワールドを辞めたいので!」と言うしか有りませんでした。

 

私はその後輩へ、私自身が10数年に渡り海外でやってきたことを話し、シーズン、月次、週次の業務内容、様々な成功事例、失敗事例、各現地法人の特徴、人間関係....、書き出せばキリがありません。この段階では、上司のためと言うよりは、このE氏にこれからのワールドの海外VMDを彼に精一杯担って欲しい一心で、引き継ぎをやってました。

 

この期間の週末は東京での住まい探し、有給休暇を利用して、ユニクロが3ヶ月に1回東京の或る倉庫で行っていた「*売場確認会」に、まだ社員ではない身でしたが、参加させてもらってました。

*売場確認会とは?数ヶ月後の実際の売場(標準、大型)を作成し、売り方、売場について議論する会議

 

そんな無理を強いられた後任探し、業務引き継ぎも、結果的に3月初めまで掛かりましたが、無事に終了。最後は色々あり後味悪かったけど、社会人として22年間ものあいだ本当にお世話になり、大好きだったワールドでの生活にピリオド。

そしていよいよ3月末に晴れてユニクロに入社することになりました。

 

次回は「44歳、濃いユニクロ新人時代編」です。

 

PS:最後に、上述の当時のワールドの上司(役員)は、私が退職したあと数年してワールドを辞めたようです。私は彼に問いたい「あなたは役員で退職したかもしれないけど、ちゃんと自ら後任を探して、業務引き継ぎを行いましたか?」と。このブログを見ているかも知れません、そんなこと私は気にしません。「もっと人の気持ちがわかる人になって欲しいし、私はあなたをずっと許さないし、私は間違ってもあなたのような人にはならないです」と、この上司からは反面教師を学んだかな。

 

それでは!