北村 禎宏

2018 30 Apr

移ろいゆくもの様々

いろいろな事が移ろいゆく4月だった。

 独立後、最初の行きつけの居酒屋になった四谷善丸(元は主水)が移転閉店した。定宿かや徒歩数十秒という立地もさることながら、島根からの新鮮な魚介類を中心にコスパの高さは十数年にわたり私の胃袋を支えてくれた。店長や板さんも数代の入れ替わりはあったが、それぞれ素晴らしいホスピタリティで楽しいひとときを過ごさせてもらうことができた。今後は日本橋の三越前と室町で“主水”の屋号にリソースを集約して一層の発展を期するとのこと。頻度は落ちるものの今後もちょくちょくお世話になりたいと思っている。

 伊丹空港の到着ロビーが改装オープンした。以前はANA(南)とJAL(北)が別々だったが中央に集約された。逐次改装エリアを展開しており2020年のオリンピック開催までには全面改装が施される予定だ。20才のとき交換留学生として米国へ、翌年は半年にわたる豪州でのワーホリの出発到着の折から見慣れた風景が変わっていく。使い慣れた飲食店の面子や配置も大きく代わった。

 遅れに遅れた新名神が開通し、中国道の宝塚周辺のクルマの数が激減した。なんと渋滞発生回数は以前の一割に減少したという。いろんな曜日と時間帯に主に伊丹空港の往復で利用するが、景色が一変した。こんなガラガラでは気持ち悪いというのが素直な印象だ。

 集約と分散を繰り返しながら世の中は変化し続けるものだが、ガラガラの高速道に数十年後の背筋が冷たくなる時代が予感される。住宅も道路もガラガラになってしまう世の中はもうすぐそこに来ている。果たしていかなる未来が訪れるのやら。

 「宇宙に命はあるか」の著者である小野雅裕氏は、人々を駆り立ててやまない“その何か”を「イマジネーション」と定義してさまざまな挑戦的プロジェクトの源泉と位置づけている。バラ色の未来をクリエイティブに想像することももちろん重要であるが、灰色の未来をプロテクディブに思考する態度も疎かにしてはなるまい。

 最後にミニMBA講座を一席。集約と分散は言い換えれば収束と発散であり、近しい意味で用いられる経営用語では「選択と集中」という概念がある。意味は通じるが語法としてはトートロジーになってしまっているので、より正しくは「選択と捨象」というべきだという人もいる。選択と集中は通時的アクションを示唆しているとすれば違和感はないが、共時的MECE的にはダブった言い回しであり国語的には同義反復語になってしまっているのだ。