北村 禎宏

2018 29 Jul

何もきいちゃいない人々

 この夏は天候によりゴルフを断念すること早や三回。特に今日は高校の同級生との集まりであっただけに残念だ。

 地震も含めて今年の猛暑による異常気象を鑑みると東京五輪なんて開催している場合だろうかと家内と話したりしている。競技時間を一時間繰り上げたり夕方以降に繰り下げたりする、そのような小手先の問題ではなくしてだ。

 世界的に展開する気象現象は異常でも何でもなく、地球さんからは、地球史ではごくまれな安定期の1万年が終わりかけているだけで正常に戻りつつあるだけなんだけどねと言われるのがオチである。6月に引用させていただいた「人類と気候の10万年史(中川毅)」いよいよ現代人にとって必読書にせねばならない。10月の塾での議論が楽しみである。

 そんな中、東京五輪の学生ボランティアに関する議論が炎上している。戦時中の学徒動員を彷彿させると非難する論調があとをたたない。読まなくてはならない読めてない文献がまだまだ山のようにある。8月15日までに三部作を読破しようと一冊目の読了を間近にしている今々の出来事だったので、不本意にも散っていかざるを得なかった先人を心静かに鎮魂しようとしている矢先に神経を逆なでされたので吐き気がするほど気分が悪い。


 「きけ わだつみのこえ」「第二集 きけわだつみのこえ」「知覧からの手紙」の三冊だ。いまの大学生どころか、自分ですらもこれだけの文章を書くことができようかと脱帽レベルの名文ばかりだ。当時の大学生が心の底から学問を愛し、極めて、非常に高いレベルの教養を身につけていたことを私たちはどれくらい知っているのだろうか。

 そのような彼らが、活字や自由な思想、言動から閉ざされた軍という社会に無理矢理押し込められて、どれほどのストレス、絶望感を味わったのかを共感的に理解する機会をもった人々がどれくらいいるのだろうか。

 学生の本分は学問に勤しむことであり、一定レベルの知識人が社会を引っ張っていかなければ私たちの未来は明るくはならない。どの程度の人々が当時の日本を引っ張っていて、軍隊の古参兵と呼ばれる人々がどの程度の人材だったのかは歴史が教えるところであり、容易に理解も想像もできる。

 わだつみのこえを記して残すことができた軍人が当時総員された学徒の母集団を代表する適切なサンプルというわけでもなく、当然大きな偏りがあることも否めない。また、プロパーの軍人に優れた人格と行動をあわせもつ人々も少なからずいたことも事実だ。

 しかしながら、どの程度の人々がどの程度の学識と思想からこの国を引っ張っていて、五輪というイベントを牽引しているのかも、想像どころか明らかな事実としてこうもあからさまに眼前に展開されると立腹を通り越してあきれるほかない。わだつみのこえを何もきいちゃいない人々がまた同じような誤った歴史を繰り返すのだと思うと、私たち人間の学習能力の低さにほとほと辟易させられる。

 もしくは学習能力がない人々だからこそ就くことができる職業やポストがあるとしたら、世直しには相当の手間暇がかかりそうだ。200万をこえる英霊に対してどう申し開きするのか…。