上野 君子

2020 18 Mar

身近にある「孤独死」

今日のNHKあさイチは、「孤独死」についてとりあげていた。

孤独死という言葉の響きはあまり好きではないが、一人暮らしの人が誰にも看取られずに亡くなるということは、そう珍しいことではないだろう。

亡くなっているのを発見されるまでの時間が長ければ長いほど、悲劇的に語られる。

 

一人暮らしでなくたって、死ぬときは皆独り。

病院で私がつきそっていたにもかかわらず、母が亡くなる瞬間に私は立ち会うことができなかった。人は誰でも一人で気高く亡くなるのだ。特に母は母らしい最期だったと思う。

 

つい最近、同じマンションに住む65歳の一人暮らしの女性が亡くなった。私より2歳上。死因は脳溢血だったとのこと。

近くに住むその方の姉夫婦とは、ちょっとした知り合いだったので、前からゴミ出しの時に何度か挨拶したことがある。

言い換えると、ゴミ出しの時以外はほとんど会ったことがなかった。

いや、その方は染色家だったので、一度、銀座で開かれた個展には伺ったことがある。

そのくらいのお付き合いで普段の交流はなかった。

おそらくアトリエ兼用の自宅にこもりっきりで、日々、制作に励み、人の出入りもあまりなかったように見受けられた。バルコニーで植物を育てているところも見たことないし、買い物やスポーツをするような光景にも出くわしたことがない。

 

私だって一人暮らしなので、いつコロッといくか分からない。

しかし、ある意味では、長く療養しなければならなくなった方がつらい。

このマンションも、けっこう一人暮らしが多く、連絡がとれなくなったことで不審に思った第三者が外から入って発見し、おそらく警察の現場検証があったようなケースが、うちの周りだけでも今回で3人目になる。

人間の最期は、神のみぞ知る。そしてその人の亡くなり方は、それぞれにその人の生き方を反映している。

もう最期は天にお任せするしかないが、今日の番組であったように、ゴミ屋敷や冬場のヒートショック死など、後片付けする人に大変な思いをさせることだけは避けなければならない。