久保 雅裕
いつもよりP&I上映の拍手が多かったと感じた第38回東京国際映画祭

写真提供/東京国際映画祭
2025年10月27日~11月5日、日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区でアジア最大級の映画の祭典「第38回東京国際映画祭」が開催された。11月5日には、TOHOシネマズ 日比谷スクリーン12でクロージングセレモニー、東京ミッドタウン日比谷のLEXUS MEETS...で受賞者記者会見が行われた。
今年は期間中のP&I上映13本ほどを観ることができたのだが、特に今回は、移民問題、格差と貧困、ジェンダー問題、宗教対立を隠れ蓑にした大国主義といった現代社会の構造的課題に焦点を当てた映画が増えたような気がする。同時にP&I上映では、エンドロール後に拍手が起こるのは稀なのだが、今回は幾つかの作品の上映後に拍手が沸き起こった。
私が観た作品は、時系列で挙げると『裏か表か』『オペレーターNo.23』『シネマ・ジャジレー』『囚われ人』『トンネル:暗闇の中の太陽』『波』『ハッピー・バースデイ』『パレスチナ36』『万事快調〈オール・グリーンズ〉』『マザー』『マリア・ヴィトリア』『ドリームズ』『人生は海のよう』。
セレモニーでは、各部門における審査委員からの受賞作品の発表・授与が行われ、私の観た作品からは最高賞の「東京グランプリ/東京都知事賞」に、P&I上映後に大きな拍手が沸き起こったアンマリ―・ジャシル監督の『パレスチナ36』が選出され、カルロ・シャトリアン審査委員長からトロフィーが授与された。最優秀監督賞に『裏か表か?』のアレッシオ・リゴ・デ・リーギ監督、最優秀芸術貢献賞は『マザー』が受賞した。
『裏か表か?』(Testa o croce/伊・米)コンペティション

©Ring Film, Cinema Inutile, Andromeda Film, Cinemaundic
19世紀末のイタリアの小さな村に、アメリカからバッファロー・ビルの「ワイルド・ウェスト・ショー」が巡業でやって来る。村の若い女性ローザは、支配的な父や婚約者との関係に息苦しさを感じており、ショーの一座と出会うことで、海の向こうの「自由」の幻影に惹かれていく。アメリカ的な英雄譚と、辺境の村の現実が交差する中で、「コインの裏か表か」のように人生の選択と偶然が絡み合う、西部劇へのオマージュをたっぷり含んだロマンスだが、後半のファンタジックでコメディータッチの演出には正直クエスチョンマークが付いた。いずれにせよ封建的、家父長的な社会での女性の自立がテーマとして受け取れた作品だった。
『オペレーターNo.23』(中国)アジアの未来

©Xiyue Ying (Shanghai) Cultural Media Co., Ltd
画家志望の青年ハン・イエは、父親の失踪以来、母との関係がこじれたまま、鬱屈した日々を送っている。ある日、街で拾ったテレホンクラブのカードに書かれた番号に電話をかけ、「オペレーター23番」と名乗る声と話し始める。匿名の相手との会話を重ねるうちに、心が解けていく。一方の生活に困窮した母親もまた、息子が電話をかけているとは知らずにテレホンクラブの相手役の仕事を始める。閉塞した中国社会の空気の中で、声だけの他者に頼る孤独な若者像を描く。
『シネマ・ジャジレー』(アフガニスタンほか)ウィメンズ・エンパワメント
©Hayedeh, Ahmad Zahir songs, copyrighted
舞台は1990年代のタリバン支配下のアフガニスタン。タリバンによって夫を殺されたレイラは、行方不明になった7歳の息子を捜すため、夫の髭を切り取り、自ら男装して旅に出る。男に見えないと不都合な社会の一端が覗く。一方、街では身寄りのない少年たちが、元映画館を転用した地下の娼館「シネマ・ジャジレー」に連れてこられ、女装させられ、男娼として働かされている。外側の戦場をさまよう母親と、内側の「地獄」に閉じ込められた少年の物語が、やがて同じ場所へと収束していく構成で、男装、ゲイ、幼児買春といったタブーに踏み込みながら、戦争と宗教支配が最も弱い存在を傷つけ続けている様子が明らかになる。
『囚われ人』(スペインほか)ガラ・セレクション

©TIFF
16世紀、アフリカ北岸で海賊に囚われ、アルジェの牢獄に長く拘束されたミゲル・デ・セルバンテスの実体験に基づくドラマ。奴隷として売られる危機に晒されながら、セルバンテスは同じ囚人たちと即興劇を作り、物語ることによって、日々の暴力と絶望から心を守ろうとする。監視と暴力が支配する空間で、想像力だけが唯一の自由であり続ける。そんな中、イスラム教に改宗し、ゲイとなり、キリスト教徒の奴隷たちの生殺与奪を握る監獄の長となった男に物語を聞かせ、気に入れらたセルバンテス。男は自分と同じように改宗し、「自分の男娼になれ」と迫る。——後年の『ドン・キホーテ』にも通じる想像力の巧みさが歴史と共に感じられる作品だ。
『トンネル:暗闇の中の太陽』(Địa Đạo: Mặt Trời Trong Bóng Tối/ベトナム)ワールド・フォーカス

©TUNNELS FILM COMPANY LIMITED
1967年、ベトナム戦争下のクチ地区。米軍の攻撃が激しさを増す中、地中深くに張り巡らされたトンネル網で戦うゲリラ兵たちの3つのエピソードが交錯する。ある部隊は、陣地の維持を命じられ、別の若い兵たちはトンネルからモールス信号を発信し、米軍の通信傍受や撹乱作戦を担わされる。暗闇と高温、酸欠、爆音の中で精神がすり減っていく様子やベトナム戦争の苛烈さを描きつつ、「太陽」の意味を探る。勝利、愛、祖国、それとも人間らしさなのか。あまりにも悲惨で、大国主義の残忍さを思い知らされる。拍手が起きた作品の一つだ。
『波』(The Wave/La Ola/チリ)ワールド・フォーカス+ラテンビート

©DiegoAraya
2018年、チリの大学キャンパス。セクシュアルハラスメントや男女差別を告発するフェミニスト運動が波のように広がる中、性被害を受けながら声を上げられなかった若い女性たちが、歌とダンスで自らの怒りと痛みを表現するミュージカル。主人公に祭り上げられたフーリアを中心に学内占拠やデモ、運動の後に彼女たちの身体と心に残る疲弊やバッシング、家族や学校による懐柔などが、様々なビートの音楽で表現される。家父長制への反発と、簡単には変えられない現実をほろ苦いテイストで表現し、拍手が起きた作品。
『ハッピー・バースデイ』(Happy Birthday/エジプト)ウィメンズ・エンパワメント

©Skylimit Studio
カイロの富裕層家庭に住み込みでメイドとして働く8歳の少女・トハは、同じ年頃の娘・ネリーの世話をしながら暮らしている。ネリーの誕生日パーティーの準備が進む中、家庭内の不和や離婚問題が浮上し、パーティーそのものが危うくなるが、トハとネリーの母は、「この日だけは楽しい日にしたい」と奔走する。やがて「友だち」だと思っていたはずの関係が、埋めがたい階級差と搾取の構造の上に成り立っていたことを、トハ自身が痛いほど思い知らされる。児童労働問題、さらにはエジプト社会の階級格差が、誕生日を通して浮上する作品で、こちらも拍手が起こった。
『パレスチナ36』(Palestine 36/英・パレスチナほか)コンペティション

©TIFF
今回グランプリを獲得した作品で拍手喝采を浴びた点でも筆者はグランプリを確信していたので、嬉しい限りだった。舞台は1936年、英国委任統治下のパレスチナ。代々土地を耕し、綿花やタバコを育てて慎ましく生きてきた農民たちが、ユダヤ人入植者の到来と土地収用政策によって、生活の基盤を次々と奪われていく。新聞社で働く少年ユースフの視点を軸にパレスチナ人の自立を支援する西欧列強側の人々、武装蜂起する「反乱軍」、パレスチナ人を弾圧するイギリス官僚、シオニスト入植者など、様々な立場の思惑が交錯し、やがて全面的な反乱へと突き進む過程が描かれる。今日のガザの惨禍の原点を学ばせてくれる作品で、英国の二枚舌外交による犯罪的な歴史をあぶり出す。見るべき☆5つ。
『万事快調〈オール・グリーンズ〉』(日本)Nippon Cinema Now

©2026「万事快調」製作委員会
ラッパーになる夢を抱きつつ、学校にも家庭にも居場所を見いだせない高校生・朴秀美。陸上部のエースでスクールカースト上位にいながら、家庭では問題を抱える映画オタクの矢口美流紅。漫画を心の拠り所とする毒舌キャラ、岩隈真子。未来の見えない地方都市(恐らく東海村?)で鬱屈を抱える3人は、「一獲千金でこの街を出るしかない」と決意し、同好会「オール・グリーンズ」を結成して「禁断の課外活動」に手を染めていく。ラップと青春小説的な語り口を通して、日本の若者が抱える閉塞感、そしてそれを笑い飛ばそうとする無鉄砲さをポップで軽快な手触りで描いた。
『マザー』(Mother/北マケドニアほか)コンペティション

©Entre Chien et Loup, Sisters and Brother Mitevski
1948年、インド・カルカッタ。ロレト修道女会に属していたマザー・テレサは、貧しい人々のための新たな修道会を設立する決意を固め、ローマの許可が降りるのを待ちながら、7日間を過ごす。この一週間の日々を1本に収めた作品だ。この間に、自身の後任に推挙したいとしていた修道女の妊娠スキャンダルや教会の権威構造との摩擦が次々とテレサの前に立ちはだかる。彼女は時に規則を破り、時に権威に食ってかかりながら、自らの信仰と野心、そして「貧しい者のため」という理念の間で揺れ動く様子がうかがえる。聖人としてのイメージを下敷きにしつつ、野心的であり、時に専制的な矛盾をも描き出し、我々の持っているマザー・テレサのイメージを覆す作品となっている。監督は、かなり近い線まで描けていたとテレサを知る人からお墨付きをもらったと述べており、優しさと強さは表裏一体だったのかもしれない。
『マリア・ヴィトリア』(Maria Vitória/ポルトガル)コンペティション

©APM
ポルトガルの山岳地帯の小さな町。プロのサッカー選手を目指す少女マリア・ヴィトリアは、厳格だがどこか不器用な父親をコーチに、日々のトレーニングに励んでいる。そこへ、家を飛び出していた兄が突然戻ってきて、カナダに住む男性と結婚するという。家を出た兄を認めることができない父と妹。家族のバランスが大きく崩れていく。山村の美しい風景の中に、父の夢を自身の夢として追う娘、挫折を抱えた父、妹を押さえつける父親に反発する息子の感情が渦巻き、狭い共同体の中でのジェンダー観が浮き彫りなる。プロのスカウトが見に来るという大事な試合を前に、マリアと兄の関係が氷解するが、果たしてマリアの進路は如何に。
『ドリームズ』(Dreams/メキシコ=アメリカ)ワールド・フォーカス+ラテンビート

©Teorema
メキシコ人男性バレエダンサーが、年上の裕福なアメリカ人女性と恋に落ち、米国に移り住むかが、不法滞在がバレて強制送還される。彼女とその家族が支援する財団が彼を支援するも、やがてその華やかな生活の裏側に潜む偽善に気づき、自分が「才能のある異邦人」として消費されているだけなのではないかという疑念に苛まれていく。そしてメキシコへ帰国。彼を追ってメキシコにやってきた恋人を待ち受けていたのは、彼女への仕返しだったのか。恋愛、芸術、階級移動の夢が絡み合う中で、トランプ以降の移民問題を背景に人間模様を写したメロドラマ。
『人生は海のように』(The Waves Will Carry Us/人生海海/台湾・マレーシア)ワールド・フォーカス(台湾電影ルネッサンス)

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台湾で働くマレーシア華人の青年アーヤオのもとに、父の死の知らせが届き、彼は久しぶりに故郷マレーシアへ戻る。悲しみの儀式になるはずだった葬儀は、父が密かにイスラム教に改宗していたことから、宗教警察が遺体を持ち去りイスラム墓地に埋葬するという顛末に。マレー系・華人系・インド系が混在する多民族国家マレーシアで、「誰がどの宗教に属するのか」が、相続や結婚、居場所そのものを左右してしまう現実の中、弟は制度の問題と反政府デモに出かけていく。アーヤオは「祖国」と「人種」の間で揺れ動く。台湾に居ても華人ながら、「訛りがある。どちらのご出身?」と尋ねられ、マレーシアでは、マレー人でないとなる。そんな揺れ動くアイデンティティーと宗教や法律によって固定されてしまう身分のギャップを移ろう「海」に例えたタイトルなのだろう。ここにも人種や移民の問題が横たわっていた。
全体を通して、いつもよりP&I上映後の拍手が多かった理由を考えると、国境を越えて生きざるを得ない市井の人々の問題や貧困と階級差に押し潰されそうな社会情勢、ジェンダー不平等やLGBTQ問題を盛り込んだ作品など今日の世界で進行中の問題を、そのままスクリーンに持ち込んだ作品が多かったことに気づく。
それは、映画祭の空気をどこか重くした一方で、「拍手」という形で観客の身体を動かした。拍手は、間違いなく「この物語をここで共有できてよかった」という連帯のサインでもある。今年の東京国際映画祭は、まさにその「連帯の拍手」が幾度か響いた年として、心に刻まれることになりそうだ。