久保 雅裕

2018 25 Oct

時間には敵わないと痛感

この秋ソフトオープンした新しいパサージュ「ボーパッサージュ(Beaupassage)」を訪れた。左岸のバック通り、グルネル通り、ラスパイユ通りを凸字型に結ぶ飲食中心の遊歩道だ。入口にはアーティスティックな設えがあり、アーケードは無いが中庭風の通りが続いている。高揚する気持ちを抑えつつ、通りから入口にたどり着く。迎えるアートに暫し感嘆し、さて中へ。ここで心が折れた。期待していた分だけ余計に落胆も大きい。アンヌ=ソフィー・ピック、ピエール・エルメなど、どの店も有力店のカジュアル業態や有名シェフが名を連ね、クオリティーの高さを誇っているようだが、物足りなさを感じるのは私だけではないだろう。そう、作り込んではいるが、どこか冷たい印象を与える。綺麗な石畳だし、そこにモダンなファサードを配した店舗たち。高級感と威厳すら感じさせる。

果たして、これがパリなのか?いや間違いなく c'est parisなのだが、懐かしくサンパで、どことなく温かみと古臭さを併せ持つパリのパサージュに慣れ親しんでいる者としては、逆に殺風景な日本の都会の作り物と同じように見えてしまうのだ。壁も石畳も植栽も、時間の経過が作り出す重みの無さに興醒めしてしまう。環境とは、かくも大切なものだと思い知らされる。かつてベルシー地区の再開発で出現したパサージュ「クールサンテミリオン」もワインレストランなどが立ち並んでいたが、興醒めしたのを覚えている。

アンティークウォッチを集めるのが、ちょっとしたささやかな趣味なのだが、どれだけビンテージ加工を施しても本物のそれに近づく事はできない。その時代のパーツ、色使い、無駄な装飾の再現性には限界があるからだ。北陸のカスタム自動車メーカーがジャガーのクラシックカーを模して、今の国産車をカスタムしても食指が動かないのと同じだ。事ほど左様に歴史や伝統に叶うものはないと痛感した次第だ。

そして人の暮らしの営みや生活感が空気として立ち昇るような、そんな温もりが欠落していると自然と冷めてしまうのかもしれない。

バスチーユ広場近くのパサージュ