武田 尚子

2022 14 Jan

惜別 嶋崎洋子さん

2022年をどういう話題から始めようかと思っていた矢先、思いがけない訃報が届いた。
秩父に本社のあるインナーウエア―メーカー、島崎の相談役、嶋崎洋子さんが亡くなられたというのだ。

 

「あなた、すごいわねぇ、読んだわよ」
最後にお電話をいただいたのは、昨年の初夏だったような気がする。
あまりメールをされない嶋崎さんからの連絡は、いつも突然の電話。その時はたまたま電話をその場でとることができて、3月に出版された拙著をご覧いただいことへのお礼をお伝えしながら、数分お話しできたように思う。
今から思うと、それは「余命宣告」をされる直前だったのではないだろうか。
心なしか声に張りがなかったようにも感じたが、以前からお誘いいただいているように、とにかくコロナが落ち着いたら秩父に遊びに行くのを楽しみにしていますということで電話を切ったように思う。
お通夜での息子さんのお話によると、膵臓がんが発見され、しかも相当の段階に進んでいるために余命は年内と言われたのが、夏だったという。

 

嶋崎さんとは、業界団体である(一般社団法人)日本ボディファッション協会〈NBF〉の会合などでお会いすることが多く、いつも声をかけていただいた。
女性のためのガーメントでありながら、女性がほとんどいないと言われ続けていた同協会の中でも数少ない女性役員でいらしたし、女性ならではの感性と視点を大切にしながら、いつも自然体で発言されていらした。こういっては失礼かもしれないが、業界の中でも常に華のある「母親」的な存在であったといっていいだろう。

完璧ともいえる専業主婦だった嶋崎洋子さんが、期せずしてご家業の会社を継ぐことになったのが39年前。既に20年前には息子さんに会社の経営をわたし、自らは「相談役」という肩書でかかわっていらしたが、業界団体であるNBFの理事はずっと務められていたし、また地元秩父や自家工場のある陸前高田との結びつきは相当に強いものがあった。

 

今、改めて、同社が創業60周年(2014年)の時に発刊した記念誌を読み直し、同社の軌跡と洋子さんが果たした役割をたどっている。
実は同社の物作りの場である陸前高田にはまだ伺っていないのだが、秩父にはかつて本社や隣接するご自宅にお邪魔し、そして三峯神社に神社にもご一緒させていただいた思い出がある。
何といっても忘れられないのは、洋子さんにお会いして間もない頃にこっそり見せていただいたものだ。それは、小学生だった息子さん(現在の嶋崎博之社長)の、お母さんを助けて将来は社長になるといった意味の手書きの名刺で、それを宝物のように持ち歩いていらした。
同社は、今ではすっかり嶋崎博之社長のもとで体制を固め、OEM生産のほか、自社ブランドである「フリープ」(陸前高田の工場で生産)も順調に市場に定着を見せている。
それだけに、社長や社員の皆さんにとっての大きな拠りどころを失った悲しみはいかに大きいであろうか。

大勢の方々が静かに見送ったお通夜。その合間に拝見させていただいたお棺の中のお顔は、もともと美形のお顔立ちがほっそりとし、グレーヘアとローズ色の口紅がとても映えていた。いつもの見慣れた洋子さんの雰囲気とは少し違うが、まるでモデルさんか女優さんのように美しかった。
また、別室では思い出の写真の数々がスクリーンに映されていたが、その中で最期にご自宅で療養されていた時の1枚か、ご長女、ご長男との3人での笑顔満面の写真がとても印象的だった。

 

享年77歳。ずっと年上の方のような気がしていたが、一回りしか上ではなかったことにハッとした。
自分も嶋崎さんのように「私利私欲なく」、属する地域や業界、そして次の世代のためにどう奉仕し、貢献していくことができるか。そういう課題をつきつけられているような思いがしている。

ご冥福を心よりお祈りいたします。