増見哲株式会社

2020 23 Mar

大森 外出

 

今回、東京の大森というところにある、お客様のところに行ってまいりました。

大森という地は個人的に馴染みのある土地で、今回初めていきましたが一度行ってみたいと思っていました。

約50年前に、私の父と母が住んでいた町になります。私には姉が2人いますが、姉も私も未だ生まれておりませんでした。

当時、母は21歳、父は28歳でした。その頃の話を最近母より良く聞きます。父が他界して寂しいのもあるのかなと、話にはいつも付き合います。

当時、

近所のご夫婦さんが、大変親切にしてくれたこと、母のバイト先の店長さんが、格好良くて優しかったこと。

父に会いたくて、現場まで1人で行こうとして、迷ってしまったこと。

お腹が空いてしまい、どうしてもケーキが食べたくなって、妊娠中にも関わらず自転車を飛ばして行ったら、

転んでしまったこと。(後で、父にひどく怒られたとのことです。)

父は家が貧しくて、北海道の農業高校しか出ていなかったのですが、当時、日本でも屈指の大手ゼネコンに入りました。

北海道から、単身東京に試験を受けに来たときの話ですが、

面接で、試験官に、もう貴社に入るつもりで布団を背負ってきたと云ったとのことです。

試験官は、テストも出来ていた様だし、合格と言ったそうです。

父のお姉さんに、父のことを聞いたことがありますが、やんちゃこの上ない人だったとのことです。

ただ、勉強は出来て、回りを驚かせていたとのことです。私は、あまり勉強ができず、きっと母に似たのだと思うようにしていました。母は絵が上手で、今までの人生で2回しか見たことがないのですが、すごい絵を見せてくれたのを覚えています。

性格はいうと、のほほんとしています。東北出身です。

50数年前に、全然違うような2人が知り合って、一緒になるなんて何て素敵なのだと思いました。

ただ、人生は、あっという間に過ぎていくのだと思いました。

私も懸命に悔いの無いように生きていきたいと思いました。

大森にいた当時の父です。

この青年は、生意気そうで野心に満ちている気がして、

何か見ているだけで元気がでます。

この時の父に会って、色々話してみたいと思いました。そんなことは叶うはずもないのですが。。。

 

最後に、父の好きだった言葉です。有名な言葉で知っている方もたくさんいると思いますが、

良かったら、ご参照してください。

「人間50年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」

訳すと:人の世の50年は、天界の時間と比べれば、それは一瞬のもので、とても儚いものだということを謳っています。織田信長さんにゆかりがあると聞いていましたが、実際はそうではないようです。

詳しくは、また調べてみますね。

では、皆様、

コロナなどの流行病もありますので、健康にはお気をつけくださいませ。

Yukio