繊維ニュース 編集部ブログ

2018 12 Jan

大阪万博と繊維産業

 【大阪本社】ほぼ20年ぶりに万博記念公園(大阪府吹田市)に遊びに行く機会があった。駅に着いて驚いたのが人の多さ。遊園地「エキスポランド」が複合商業施設「エキスポシティ」に様変わりしたことの効果は大きい。だが、歩道橋を渡って公園内に入ると、20年前と何も変わらない姿が。岡本太郎デザインによる「太陽の塔」がそびえたつインパクトがあいかわらず抜群である。

 1970年の大阪万博は、岡本太郎を総合プロデューサーに据え、会場設計は丹下健三が指揮し、他にも黒川紀章や菊竹清訓らが腕を振るった。今から考えると、よくぞこんなメンバーを集めたなと思う。「混ぜるな!危険」と言いたくなるような顔ぶれである。しかし、そういった冒険を恐れなかったからこそ、大阪万博はレガシーとなった。

 大阪万博は繊維業界にも一つのレガシーを残した。繊維業界が出展した「せんい館」である。当時、繊維産業が日本経済において、いかに大きな存在だったかを物語っている。ちなみに「せんい館」の模型が現在も綿業会館(大阪市中央区)に展示されていて、往時をしのばせる。

 現在、大阪は官民協力して2025年万博の大阪招致を目指しており、今年の博覧会国際事務局総会で開催地が決定する。万博招致にはさまざまな意見があるが、こういうものはお祭りである。祭りは、やらないよりも、やった方が良いに決まっている。そして、もし25年大阪万博が開催されれば、「せんい館」は無理でもやはり繊維業界でなにか打ち出すべきだろう。今も昔も大阪は「繊維の都」なのだから。(宇)