船橋 芳信

2019 31 Dec

テノール歌手の歩み 1

ドニゼッティ、ベッリーニ、ガルシア、タマーニョ、マリア・マリブラン

テノーレ歌手の歩み 1

SP CLUB でのレコード鑑賞会を二度行なって、益々自分の中に、歌唱芸術への興味が、深くなって行く。
私の持ってるSPレコードの一番旧いものは、1902年録音された、FRANCESCO TAMAGNO(1850生ー1905没)
のオテロのSPレコードである。
このレコードの貴重さは、先ず、電気のない時代の録音である事、それはほとんど、生の肉声に一番近い。
 タマーニョの声が、何処で響かせているのかが、一目瞭然と判る程、明瞭な声の質です。
そして、テノールの歴史を遡って行くと、作曲家達とのコラボレーションに置ける、テノーレに課せられる役割の違いが、
見えて来るのです。
 GIOACHINO ROSSINI (1792生ー1868没)ロッシーニの時代にはカストラート(去勢歌手)やコントラルト歌手、
メッゾソプラノと並んで、テノール歌手が登場してきます。ロッシーニの有名なオペラ、「セビリアの理髪師」の中の
アルマヴィーヴァ伯爵のアリア、装飾歌唱のテクニックを使った卓越したアジリタ、それは高音の高い音程はファルセット
裏声を使っていたと考えられている。ロッシーニもアクートは胸声ではなくファルセットの柔らかい声で、
歌われるのを想定して作曲していた。この時代の有名なテノール 歌手にMANUEL GARCIA (1775生ー1832没)がいた。
ガルシアは又優秀な声楽教師でもあり、彼の娘、MARIA MALIBRAN(1808生ー1836没)はこの時代の花形ソプラノだった。
 
ロッシーニと重なって、活躍した作曲家として
           GAETANO DONIZETTI (1797生ー1848没)
           VINCENZO BELLINI      (1801生ー1835没)の作曲家が登場してくると
ファルセットを使わない胸声での高音を歌う歌手達が登場してきます。
テノーレの声に新しい流れが生まれてきます。
 ベッリーニ、ドニゼッティのオペラに於いては、テノーレの装飾的なパッサージュが、徐々に少なくなって行きます。そして
ロッシーニ、ベッリーニ、ド二ゼッティ、のオペラ時代、大きく分けて二つのテノーレの存在が浮き彫りになってきます、
1)Tenore di Grazia  優美なテノーレと呼ばれ、高音をファルセット、しなやかな声で優れたアジリタのテクニックを持っているテノーレ。
2)Tenore di Forza   力強さのテノーレと呼ばれ、胸声に依るアクートや力強い響きを持ったテノーレ。
これらの歌手達は1820年代から1860年代迄続きます。だんだんと時代が進むにつれ、Tenore di Forzaの傾向に移って行きます。
この流れは時代背景、時代の流れと深く結びついて行きます。
 それは、産業革命に依る社会の変革と、人間の生活の変化、それに依って、音楽が一般大衆への浸透も、深く関わって行きます。
 
GIUSEPPE VERDI(1813ー1901没)
 ベルディの時代に入って行くと、時代的には1835年以降、テノーレは力強いフレーズが与えられ、アジリタは姿を消して行きます。
ファルセットは、徐々に使われなくなって行きます。胸声に依るアクートが用いられて行きます。
又オーケストラパートが声と一緒に競い合うようになり、言葉と音楽と演奏が一体化し、感情や情熱を表現するようになって行きます。
そのために、テノーレの声への要求は次第に力強さを求められて行きます。
 特にイタリアでは、ガリバルディ将軍に依るイタリア統一の機運、統一戦争に依る国運、国家意識の高まりは、ドラマトゥルギの
性格描写と深く関わり、重い音質、強い声、感情表現の過多、テノーレの声質は、感情思想表現へと要求されて行きます。
 ベルディの代表作の一つ、「OTELLO 」の初演を歌ったタマーニョの歌唱表現、其の歌の背後には、
ベルディの指示が確実に反映されています。
産業革命の落とし子の一つ、蓄音機の発明に依って、図らずもその経緯を、
読み取る事が可能なSPレコードの存在は、大きい意味を持っているのです。
 そしてタマーニョの声の、高音での力強さ又、美しさを兼ねた声、はっきりと発音されている言葉、
オテッロの嘆き、苦悩、怒り、悲しみとがタマーニョの歌唱から迸るのです。
 
1800年が終わりに近づくとテノーレ歌手達のレパートリーも大きく変化して行きます。
ロッシーニ、ベッリー二、ドニゼッティの作品が少なくなって行き、ビゼー、マスネ、そして
初期ヴェリズモオペラの時代に入って行きます。
 又ワーグナーのオペラが上演されて行くと、テナー、英雄テナーと言う言葉が生まれてきます。
分厚いオーケストラの壁を打ち破って声を響かせる事が要求されて行きます。
 20世紀初頭のヴェリズモオペラの時代に入って行くと、時には激しいフレージングや叫び声等入ったりし、
次第に大声で張り叫ぶ風潮が広まって行くのです。