船橋 芳信

2019 26 Dec

セレンディピティ!

セレンディピティ

友人からセレンディピティについて色んな情報を戴いた。
何の事かなと思うと、偶然の出来事から、思いがけないものを発見する、そんな能力のことを言うらしい。
思い起こせば、こんな感じの出来事は、過去に数回在ったように思う。
特別な性格、性質を持つ人に備わった能力とは思わない。
ただ、何にでも興味深く追求する人には、
思わぬ出会いと言うものが、出てくる。
この探究心とは、実は単なる興味にしか過ぎない。
新年を迎えるとイタリア在住40年となる。
私のセレンディピティはこのイタリア生活にあるように思う。
このイタリアでの生活から、その文化、歴史、考え方の違いによって、浮かび上がってくる、多くの日本を学んで来た。
ー比較対象としての日本文化、日本人としてのアイデンティティは、
イタリア生活セレンディピティ
ここ一年の間に、友人からセレンディピティについて色んな情報を戴いた。
何の事かなと思うと、偶然の出来事から、思いがけないものを発見する、そんな能力のことを言うらしい。
思い起こせば、こんな出来事は、過去に数々在ったように思う。
特別な性格、性質を持つ人に備わった能力化とは思わない。
ただ、何にでも興味深く追求する人には、
思わぬ出会いと言うものが、出てくる。この探究心とは、実は単なる興味にしか過ぎない。
イタリア在住40年となると、私のセレンディピティは
このイタリア生活にある。
このイタリアでの生活から、多くの日本を学んで来た。
比較対象としての日本文化、日本人としてのアイデンティティは、イタリア生活での、友人関係、日常生活での不便さは、
そのギャップを感じ、知り尽くすことでより深まって行く様に思う。
 当初、数年の滞在と考え、この機会にイタリアの全てに対して、アンテナを張って、感じるがままに、美術館、市場、劇場、ファッション街、ガラクタ市場、レストラン、グルメ、調理、と行動を起こして、
今に至っている。だが、40年の歳月は無慈悲にもその報酬を与えてはくれない。何もかもが中途半端な、40年のイタリア生活である。
  そんな今の気分に、セレンディピィティなる考え方は、勇気を与えてくれる。
 40年目を迎える新年、偶然の良き出会いとの期待を込めて、セレンディピティな2020年を、迎えよう!