船橋 芳信
2018
29
Jul
ダンディズムとは!

Google先生より
ダンディズムとは、
ダンディズムを生み出すことが出来るのは英国だけだった。
それに相当するものをフランスは産むことが出来ないし、同様に隣国(イギリス)も、
我が国(フランス)の「ライオン族」に相当するものを提供出来ない。
ダンディたちが好かれる事を軽蔑するのと同じくらい「ライオン族」は好かれることに熱心である。
男性をふくめて全ての人が、ごく自然に、情熱をこめて、オルセー伯を好きになったが、
ダンディ達はと言えば、人を不快にすることでしか好かれないのだった。
「ライオン族」(伊達男)「ガンダン」(キザな男)トの間には雲泥の差がある。
しかし「ガンダン」と「プティ・クルヴェ」(優男)との間は又何という雲泥の差だろう!
ダンディ、伊達男、キザな男、優男、成る程、国によって、男の洗練さには、温度差が生まれ、
それも分類分析されている。しかも1830年代にである。
ダンディズムは、壮麗だが熱気が無く憂愁に満ちている。
しかし悲しいかな!押し寄せる民主主義の潮流が、これら人間の誇りを代表する者達を日に日に、
溺れさせていく。
ボードレールが住んでいたピモダン館近くでの彼の服装を描写された。
エナメルのブーツに、裾をピンとかけた黒いズボン。
新しい折り目がきちんとついた車夫の着るような青いスモック、
髪はと言えば、生まれつきカールした黒い長髪、まばゆいばかりの糊の付いていないシャツ、
鼻の下とあごにに少しばかり生えかけた髯、
それに真新しいバラ色の手袋。こうした服装で、帽子はかぶらず、
ボードレールは、足取りはギクシャクしつつも、猫のように神経質で音も立てず、
まるで卵を踏みつぶさないよう気をつけなくてはいけないかのように、
舖石を一枚一枚選んで、馴染みの界隈と市内を歩き回るのだった。
ダンディは絶えず崇高であることを目指さなければならない。
ダンディは鏡の前で生活し眠らなくてはならない。
ボードレールは醜いものに対していつも礼儀正しい。
ダンディである為には、人との接触を断って、孤高に1人、我と我身を愛するしか無いのであろうか!
ジョージ・ブルンメルになるよりは、少し低い優男が、日本男子には似合ってそうだ。