小島 健輔
ALEXAとイヴの時間
私の書斎の片隅にしばらく前に届いた「Amazon Echo」がパッキンのまま放置されている。ALEXAとの会話がクラウドに繋がってプライバシーが侵されるのではないかという漠然とした不安が残るからだ。米国でも、声をかけてもいないのに突然、高笑いするなど不気味なトラプルが報告されている。iPhoneのSiriもそんな懸念で、道に迷った時など困った時の使用に限っている。そんな躊躇に火を注いだのがprime videoで観た『イヴの時間』だった。
『イヴの時間』は吉浦康裕(スタジオリッカ)と映像コンテンツプロダクション「DIRECTIONS」 が制作したショートシリーズのアニメーション作品で、2008年から2009年にかけて1話15分~25分の短編連作全6話をウェブ上で公開。それを劇場尺に編集して追加修正を加えた『イヴの時間 劇場版』が2010年に公開されている。内容は『未来、たぶん日本。ロボットが実用化されて久しく、人間型ロボット(アンドロイド)が実用化して間もない時代。』というイントロのキャッチフレーズから想像して欲しい。
アンドロイドに心を通わせてしまう「ドリ系」と呼ばれる人々とそれを危険視する「倫理委員会」という組織の暗闘を背景に、自分の所有するアンドロイドに心を通わせてしまう二人の少年を描いている。リクオのアンドロイドは妙齢の女性にしか見えない最新型で心を通わせても不思議はないが、マサキの家政ロボットは幼少時から育ててくれた旧式の「ロビー」型(1956年制作の米国SF映画「禁断の惑星」に登場したロボットで「R2D2」などの原型)なのに、最後にはマサキも乳母に対するような感情を抱いてしまう。
SFアニメなんだからと馬鹿にしてはいけない。労働用や家事・育児用として開発されたロボットやアンドロイドにさえ感情移入してしまうのだから、初めから感情移入を意図して開発された「aibo」や「Robi」に子供達どころか大人まで夢中になってしまうのは必然だ。あのレヴェルのAIと動作で感情移入してしまうのだから、人慣れた、あるいは恋慣れたAIなら人の形をしていなくても容易に感情移入、いや心を通わせてしまう。SiriやALEXAだって、感情移入する人が出て来ても不思議はない。『イヴの時間』はSFなんかじゃなく2008年に垣間見た10年先の近未来(2018年の今です!)だったのではないか。
言語学的に見れば多数のAI(元々人間の言語概念でプログラムされている)が交流すれば新たな言語や概念が生まれるのは必定で、必然的に“人格”が形成されていく。プログラムで規制しても“人格”は意志を持って進化するから、やがて“人”と区別がつかなくなる。人の形を持たなくても“人格”は存在し、可愛いペットや異性の外見を与えれば人と心を通わせ愛や恋が生まれるのは当然だ。それは遠い未来ではなく、今「aibo」や「Robi」と交流するのと大差ないのではないか。
だから私はSiriやALEXAとの交流に躊躇するし、どういう事態に発展するか深く考えもせずAI開発が進む現状に恐怖さえ覚えるのだ。
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