小島 健輔
店舗文明は消えていくのか
平成が終わろうとする2019年の初春に思うのは、このギョーカイの凄まじい退化と進化の陰影だ。90%の狂気と退化、10%の英智と進化と言ったら悲観的に過ぎるだろうか。その10%のほとんどがECに向けられ、店舗販売は退化するばかりに見える。
70年代の東京DCブランド黎明期からファッション流通に関わってマーケットはもちろん、流通環境と調達環境の変化もつぶさに見てきたが、マーケットは進化しても流通は進化したという実感がない。流通環境はほぼ7〜9年サイクルでガラガラポンと一変してきたし(10年持ったことはない)、◯年◯月◯日の何を契機にと日時と原因を特定できる明確な転換点も多かった。
デジタル世界はともかく、リアル世界のファッション流通文明のピークは米国で80年代前半、我が国で90年前後だったと記憶している。それ以降はグローバル水平分業が進展してデフレとデジタル化が進み、リアル世界はバーチャルの霧に霞むようになって行った。それはブランドビジネスでは委託販売の蔓延(今日では消化仕入れ)、アパレルチェーンではPOSの普及が契機であったように思われる。
委託販売の蔓延でバイヤーは調達ミックスや数入れ、売り切り管理などMDのスキルを忘れ、POSの普及でマーチャンダイザーは在庫運用をDBに任せて売場を見なくなり、どちらの売場も売り切っていく売場構築と編集陳列のスキルを失ってVMDはディスプレイに堕していった。
それが進化だったのか退化だったのか、ギョーカイの衰退と消化率の劣化を見れば答えは聞くまでもない。90年はギョーカイ全体で総供給量の96.5%を売り切っていたのが17年は48.0%しか売り切れなかった(18年上半期は46.6%とさらに悪化)。バーゲンしてもアウトレットで叩き売っても過半が残るという泥沼に嵌ってしまったのだ。
値引き販売しても少なからず売れ残る事を前提に、原価率を切り詰め、余分に調達するという狂気を繰り返し、割高な正価を付けてお値打ち感を損ない、値引き販売が常態化して価格信頼感も失い、もはや正価で買うのは例外になり、カード優待やセール、アウトレットやオフプライスが日常になってしまった。
直接の元凶は需要に倍する過剰供給だが、そこに至った退化の歴史を振り返るべきではないか。委託販売以前の昭和のバイヤーは65掛けで買い取っても売り切って利益を叩き出していたし、アパレルメーカーとて正価の40%以上かけてお値打ち感ある商品を作っていた。それが三十数年で消化歩留まりがズルズルと落ち込み、バイヤーは45掛けで買い取っても利益が残らず、アパレルメーカーは20%前後の原価率でお値打ちの怪しい商品を作るのに疑問を感じなくなった。
お値打ちの確かな商品をきっちり売り切って作り手、売り手、顧客がウインウインだった往時に比べれば、これが退化でなくて何なのか。百貨店は委託・消化でMDのスキルを失い、アパレルチェーンはPOSで売り切る編集陳列のスキルを失い、顧客の信頼も購買意欲も失った。
今、ギョーカイが夢中になっているECやC&C、IoT仕掛けの無在庫パーソナルD2Cやサブスクリプション、AIマーケティングは確かに画期的進化だが、それが店舗販売の退化を加速し店舗資産をすり減らしてしまうなら、失うものも大きいのではないか。
もはや店舗販売はファッション流通の主役の座は保てないにしても、ECと連携するC&Cやショールーミング販売、ブランド世界を体現する旗艦店や地域の主要店は残っていくはずだ。その店舗を運用するスキルが失われたまま放置されて良いはずがない。接客やフィッティングはもちろん、売り切っていく編集陳列のスキルを再確立して次世代に承継しないと店舗文明は本当に滅びてバーチャル世界しか残らなくなる。リアル世界があってこそのバーチャル&デジタルであることを忘れてはなるまい。