小島 健輔
堕落と裏切りの果ての決断
8月30日に開催したSPACビッグサマーコンベンションではアパレル流通を取り巻く内外の最新動向を検証して『脱SPAで自前のC&Cプラットフォーム確立を急げ』と提言したが、アパレル流通の四半世紀を振り返ればプラットフォーマーの堕落と裏切りの歴史だったと総括せざるを得ない。以下はその三段階の論告だ。
1)バブル崩壊後の売上急落をカバーすべく百貨店は92年から00年にかけて取り分(歩率)を13ポイントも嵩上げ、取引アパレルは原価率をほぼ同ポイント切り下げて収益の確保を図り、国内生産から中国生産に一気にシフトして国内産地崩壊の引金を引き、お値打ち感の急落で消費者は百貨店から駅ビルやSCに逃げ出した。アパレル事業者も百貨店から駅ビルやSCに主力を移したが、そこにも罠が待っていた。
2)00年前後には経済の活発化を目論んで規制緩和が乱発されたが、流通業界を一変させたのが00年3月1日に施行された改正借地借家法と6月1日に施行された大店立地法だった。前者によって定期借家契約が導入されて出店の初期費用は激減した一方、営業権が無くなって店は資産から利用権に変質し、デベは実質家賃に転嫁して不動産費は三年で4ポイント前後も高騰した。後者によって営業時間が自由化されて全国の商業施設は2時間ほど延刻され、売上は増えないまま運営コストが肥大し人手不足が恒常化して店舗運営の質が低下してしまった。
希望の地と思われた駅ビルやSCでも運営コストの上昇に加え、出店初期費用の低下と規制緩和による商業施設の開発ラッシュでオーバーストアが急進して販売効率は年々落下。収益を確保すべくSPA化を進めて調達原価率が切り詰められ、お値打ち感が劣化してさらに売上を落とすという悪循環に陥った。商品の価値も販売の質も怪しくなって顧客が離反し始めたところに追い打ちをかけたのが10年頃からのスマホの普及とECの台頭だった。
品揃えも商品情報も限られる店舗販売から、品揃えも商品情報も豊かで購入の手間も持ち帰る労働も強いないECへと消費は急激に移行し、損益分岐点の高い店舗販売は採算割れに陥って閉店が広がった。
3)店舗販売に替わる希望の地と思われたECも競争が激化し顧客利便が競われるに連れ運営コストが肥大し、流通プラットフォーマーたるECモール事業者も手数料率を年々嵩あげるという状況となり、『ECモールが百貨店化している』と失望感が広がった。そこに宅配料金の一斉値上げも重なり、ECは他人のプラットフォームに依存する限り低コストとは言えなくなった。
手数料率が高騰する人気ECモールがある一方、仕組みを改善して手数料率を抑制したり利便を高めるECモールもあるが、顧客と在庫を一元化して店舗とEC一体のC&C運用を確立するにもD2Cなショールーミングストアに移行するにも自前のECプラットフォームが不可欠で、先行する有力企業はECプラットフォームに投資を集中して店舗網の整理縮小に転じている。ZARAのEC受注品の店在庫引き当てと店受け取り店出荷という決断はその典型で、EC比率が高まった欧州から店舗網の縮小に転じている。
三度も流通プラットフォーマーに裏切られ追い詰められたコンテンツ(アパレル)事業者が自前プラットフォームの確立という決断に至ったのは必然というしかない。三世代の流通プラットフォーマーに反省はあるのだろうか。この間の経緯と最新状況、明日への戦略は私の近著『店は生き残れるか』にデータを揃えて詳説したので御一読頂ければ幸いだ。