北村 禎宏

2020 30 Sep

サイエンスを軽視する人々

 サイエンスを軽視するのは、自分の再選のことしか眼中にない彼の国のトップに限ったことではない。何があっても開催すると発言された日には、返す言葉をなくしてしまった健全な人々も少なくなかっただろう。何の中には開催を不可能ならしめる事象は含まれていないのか?科学以前に言葉としての論理が破綻している。

 if~then~により起こりうる場合を列挙して、それぞれ確率論的に説明してくれる人はいないのだろうか。その程度の知性と感性しか持ち合わせないからやっていけるのが政治家という職業とはいえ、世も末の感がぬぐえない。いま私たちを取り巻く環境は科学を持ってしか処することはできない。生物学的ロジックに社会学と経済学が絡んでくるので、それらを紐解くことは決してやさしいことではない。

 論理的に手の打ちようがないとき、精神論が登場して悪さをしでかす。遅ればせながら帝国主義を標榜し、欧米の列強を驚かせるとともに、やがて排除の対象として目の敵にされるようになったた当時の日本は、政治学的には落としどころはゼロではなかったが、論理的には勝てるはずもない戦に突入していった。大本営をはじめとして各メディアがフェイクニュースを流しまくったことから、多くの国民が熱狂した。鉄の弾幕に精神力で勝てるはずもないが、多くの若者たち、そして市民までが犠牲を払うことになった。げに恐ろしきは科学なき気合論だ。

 ゴールデンウィークを棒に振り、夏休みもお盆もなくいろんなエネルギーが鬱積していることも理解はできる。その一方で、今年ほどあの戦争を冷静に振り返る機会が薄かった夏も珍しいのではなかろうか。歴史から学び、科学をもって諸処の事象を処していく。そうしなければ、安寧な社会を取り戻すのはずっと先になってしまうだろう。この一年二年は捨て去って、三年五年後に次なる社会の確立を目指す。そのようなマニュフェスト次の選挙でが出てくるはずもないが、少なくとも私たち民間は、そのサイクルタイムで事を運んでいく必要がある。

 星野リゾートの星野さんは、様々ななシミュレーションを社員に開示して共有したという。札幌第一ホテルのトップも多くのオプションを検討し尽くした結果、廃業の意思決定に至った。民間にはあっぱれトップも少なくないのが、せめてもの救いだ。