内田 文雄

2017 15 Dec

私が中国で起業することになったキッカケ 3!(ユニクロに転職することを決めた時代編)

確か2004年の秋頃だったと思いますが、上海での起業実現に向けて、私なりに色々と考える時間が多くなりました。「来年(2005年)あたりにワールドを退職し、上海に行くか〜」と。

でもちょっと待てよ...「本当に今迄の経験で起業して本当に大丈夫か?うまくいくのか?44歳の起業はリスクが大きくないか...」等、色々と考え抜きました。

その結論は「自分自身アパレル企業での経験は十分だが、小売ビジネスに精通しているのか?」その自分自身の問いの答えは「NO!」でした。

 

何故「小売ビジネス」というキーワードを思いついたかというと、或る逸話が有ったから。

2000年位に神戸の自宅近くのユニクロで或る冬アウターを購入し着心地良く着ていたのですが、時を同じくしてその当時買ったばかりのアンティークのROLEX(10万円くらい)のガラス面が傷ついたのです。何が原因か?と色々調べたら、このユニクロのアウターの袖口内側にあるホック(厳冬時に袖を窄めるために調整するもの)が原因であることが分かりました。

 

アウターを買った店に時計も一緒に持って行き、事情を話したところ、「お手数ですがお客様相談センターにお送りください、着払いで」と丁寧な説明があり、自らアウターと、時計は傷ついた状態が分かる写真を撮り同封したと記憶しています。

そうしたら、3日も経たないうちにお客様相談センターの方から電話が入り「確かにアウターはデザイン面のミスです、すぐに袖口を修正しすぐに送り届けます。時計は買われたところで修理され、その領収書を弊社にお送りください」と、こちらが恐縮するほど丁寧な対応に、正直驚いたというか、感動すら覚えました。「何なんだ、ここまで顧客に立脚した会社は...」と。一般的にはクレーマーとも受け取られかねない状況で有るにもかかわらず。

 

と、ここまでなら他の小売企業でも対応するかもしれませんが、更に驚いたのはそこからでした。送られてくると思っていたアウターをユニクロの生産部門担当の方が、私の神戸の自宅までわざわざ持って来てくれたのです。当時ユニクロは山口が本社、その生産部門の方曰く「この度は申し訳ありませんでした。神戸に自宅があり帰省のついでに、修理したアウターを持参しました」これには参りました、ユニクロはそこまでやるのか...と。後日談ですが、私がユニクロに転職した時に、その生産担当の方と社内で会った際に、二人でこの話題で盛り上がりました。

2004年当時ファーストリテイリング東京本部があった、蒲田ニッセイ アロマ スクエア

 

長々と書きましたが、そんな事もあり、私の頭の中では「ユニクロって何て凄い会社なんだ、小売を勉強するならユニクロしかない!」という事で、44歳での上海行きを思い留まり、「起業は正直言うと遠回りになるかも知れないけど、ユニクロで勝手ながら期間限定の3年間だけ、修行の意味で勉強させてもらおう!」と考え、2004年12月に面接を受けに当時の東京本部がある蒲田に行ったのです。

 

次回は、「ユニクロ面接から44歳の新人時代編」です。

 

それでは!