上野 君子

2020 30 Mar

この試練をいかに乗り越えるか

新型コロナウイルスの感染が徐々に深刻さを増していた今月中旬、あるアパレルの経営陣のお一人とお会いする機会があった。その時に、廃業を余儀なくされる専門店がかなり出てくるのではないかという話があった。それを聞いた時、私は即座に、それは今回のコロナは一つのきっかけであって、それ以前から経営が難航していたのではないか、などと返してしまった。

今思うと、それはまさに自分自身に向けたセリフであったのだ。

 

昨今、今回の補償の問題の中で、企業の正規雇用ではない就労者、および「フリーランス」に対する補償はどうするのかという問題がたびたび上がっている。

痛手を受けている観光業やエンターテインメント産業につらなる業種、コンサートやイベントにかかわる多くの人たち、また飲食店やヨガなどのインストラクターなどは、目の前の損害が大きく、今日明日の生計をどう立てていくか絶望の淵にいる人も少なくないだろう。

こういう目に見えて直接的に被害を受けている業種にかぎらず、毎月決まった給料が入ってこないフリーランスは、これからの身の振り方に対して、皆かなり不安を感じていることだろうと思う。私もその一人だ。

 

まさに、今の非常事態は戦時といっていい。

考えてみると、リーマンショックの時も、企業は収益体制を大きく見直して社内のリストラを行ったのに加え、アウトソーシング、つまり私たち外部の人間に依頼する外注をかなり引き締めるという転換期となった。私も仕事をいくつか失くした。

こういうものはジワジワと後から効いてくるので、その最中はなかなかわかりにくいものだ。

ちょうど私たちライターの仕事の環境としては、紙媒体からデジタルへの大きな変革期で、もともと雀の涙の原稿料の基準がさらに低下した。

つまり時代の変化に対応できるかどうかであって、対応できないものは時代から振り落とされていくというわけだ。

だからといって、今後はネットで動画配信に切り替えればいいかというと、そういう単純な話ではないだろう(もちろん新しい手法にトライすることも重要だが)。

今回のことはいろいろなことが変化する一つの潮目になるであろうことは誰もが予感している。

 

この試練が乗り越えられるかどうか、いろいろな意味でその体力が残っているかどうか。

普通なら定年で引退する年齢ではあるが、退職金も安定した給料も貯金もなく、ましてや年金も国民年金という我が身。リスキーなフリーランスの道を選んだのは自分自身だから、誰のせいでもない。死ぬまで働く覚悟である。

戦争や災害によって家も財産も失ったという話は、遠い時代の他人事ではなかった。

本来なら若い後輩のために社会のために、持てるものを投げ出すべき年代だが、仕事が欲しい、どうにかして生み出していかなければと思っている。

 

こういう悩みを誰かと語り合いたいが、このご時勢では友人たちと会うのも当分はお預けになりそう。

まず、とにかく自分の心身の健康は自分で守っていかなくてはならない。