船橋 芳信

2018 19 Oct

再び、パッサージュ論

 

 

朝、5時半に起床、朝のお努めを済まし、歯を磨きながら、スクワットを100回、する。

スクワットを50回から100回に増やしたのは、テニスでの脚力増強の為だ。

髯は泡ぶらしを使い、満遍なく顔を泡でなぞり、ジレットの6枚刃で、顔を剃る。

髭剃り後のクリームを塗ると、洗面は終わる。

一畳程の絨毯の置いてある部屋で、ストレッチ、足首廻し、腕立て伏せ、腹筋を50回、

終わると役15分の坐禅、約35分費やして、朝食を摂る。6時半に家を出る。

パガーノの駅まで徒歩、6分、この時期もう朝は暗い。

途中、銀杏の実が、歩道に落ち始めている。ツーンと来る異臭は、不潔なイメージを持つが、今年は少し拾おうかなと、想いが過る。

バールの朝は早い。労働者達に、コーヒーの豆を挽く薫りが香ばしい。

バールのオーナが言うには、一日の三分の一を朝のうちに稼ぐのだそうだ。

地下鉄の乗客は、まばらだが、ほとんどが外国からの出稼ぎ人、フィリッピン人、中国人、ルーマニア、東欧人、

アラブ系、黒人、、地下鉄の中では本を読む。

最近凝っているのが、ワルター・ベンヤミンのパッサージュ論、全5巻、やっと三巻目に入る。

1800年代の産業革命以降、人間の生活に忍び寄る、生活上の変化、思想上の変遷、芸術観の移り変わり、

表現者達の時代との係わり、マルクスの資本論、ニーチェの思想、ボードレールの詩観とパリと言う都市の歴史と外観、

生産力に依る商品経済の及ぼす影響と複製技術と芸術、倫理観と思想、、、、

産業革命以後、人間の時間が、生産労働の為に売られる事を強いられる生活に変化する。

商品が、労働に従事する人間を、凌駕し始めると、人間は商品の為に時間を費やし、生産の奴隷と化する。

19世紀初頭の哲学者達は、こぞってこの商品、消費社会への警告を発している。

人は生産のために時間労働に従事するべからず。

人が生産に従事する動機は、生産は表現の為の、表現行為である事を深く認識しなければならない、と。

毎日毎日、時間に追われながら、これは表現行為、表現する人間の聖なる時間との係わりだと

言い聞かせながら、今日も地下鉄に揺られている。