船橋 芳信

2019 25 Apr

5)Corso Venezia 16 Milano

5)Corso Venezia 16 Milano

 
ミラノで生活を始めて、当初、約4ヶ月間、Enzinoの自宅に一部屋使わしてもらった。
同居なのだが、広いアパート、個室が当てがえられて、自由気ままに暮らせた。
アパートは一階の部屋80メートル平方
に、二階が80メートル平方、食堂兼台所、シャワールームに
洗濯部屋、使用人用の小部屋が二つあった。
 Corso Venezia 16番地は、via della spiga, San Babila広場に、徒歩2分の距離である。
セルベッローニ宮殿の高く、分厚い強固な木造の扉に鉄板が縁取られ、
外部との接触を拒む其の建物には威風堂々とした風格があった。
門を出ると、通りを隔てて、バール、サラミ屋、ブティック、レストランと軒を連ねていた。
 バールには、毎朝通った。カプチーノとブリオシュ、2000リラ、(ユーロで換算すると1€)
Porta Veneziaに少し下がると、ジーラソーレ(Gira Sole)と言うトスカーナレストランが、
あって、Enzino は、其処をツケで食事していた。ここで食べた、カツレツ、フンギのリゾット、
トリュフのタリアテッレ、Enzinoには、美味しいレストランを引き回された。
ピッツェリア カーラフール、via Solferinoの、当時流行ったピッツェリアで、麻薬の取引なんか
客同士の間でなされていたらしい。ディスコテッカもこの頃から、ロンドンからの流入で、
流行り始めていた。
 時の流れは、多くのレストランの時間と場所が、今ではかわってしまっている。
 Corso Itaria から少し内側に入ったところに、Via san Francesco D’assisiに、
Tutti Insiemeの会社があった。4階建ての小さなビルの一階の奥、20平方メートルの部屋を
僕の部屋だ、好きに使えと言った、Tutti Insiemeの社長、Marisa Malerbaは、条件は、
私の会社の仕事を優先してやる事!給料は、1500000リラ、(750€)、この時、これが自分にとって
どんなに素晴らしいチャンスだったのか、理解出来ていなかった。
 Tutti Insiemeは、ニットメーカー、デザイナーは、Enzino Mitolo, オーナーは、Marisa Malerbaである。
当時、イタリアは、特にミラノはファッションの熱いブームに街中が沸き上がっていた。
 多くの若者、デザイナー、モデル、ファッションカメラマン、スタイリスト、雑誌編集者、
記者、ファッションライター、ヘアーデザイナー、メイクアップアーティスト、彫刻家、イラストライター、
画家、有りとあらゆるアート関連のアーティスト達がミラノに集結した時期だった。
 時代の要請の如く、Albini, Armani , Versace, Ferre, Biagiotti, Capucci, Correggiari, Coveri, Fendi, Ferragamo,
Fiorucci, Krizia, Missoni,Pucci, Soprani, Valentino, 
 多くのデザイナー達が、ミラノ、イタリアを拠点として、世界にイタリアファッションを
発信した時代の夜明けであった。