船橋 芳信
2018
31
Oct
Bologna,オペラ鑑賞の旅!


ボローニャ、ドゥーゼ劇場、ロッシーニのセビリアの理髪師を聴きに行く。
音楽仲間の友人4名と、ボローニャに向かって16時に出発した。
今回は時間をたっぷりとって、ゆったりと車を運転して、ボローニャに着いて軽く食事をしてと、
久しぶりのボローニャ、今を去る事37年前、イタリアでの、この地で始めての仕事にありつけた街だ。
ボローニャのデザイナー、GIORGIA PER SIGEJA,サンロレンツォにあるアトリエで、フリーランスのパターンナー契約で3ヶ月仕事をした。
寝泊まりは、デザイナーの自宅の一室を使わせてくれた。当時ボローニャには数人の日本人が住んでいた。
街を歩くと、子供達が、中国人だ!中国人だ!と指差し、日本の知名度の低さに嘆いていた。
2ヶ月経ったある日、何処までも澄み渡った5月の空が、パリからのお客さんを連れてきた。
18歳のパリジェンヌ、カミュンだった。その容姿、まるでモネの睡蓮のように清楚で、
ギュスターブ・モローのような神秘さを漂わせていた。イタリア語が不出来だったので、英語と片言のフランス語で、会話した。
フィレンツェで開催されたピッティドンナに、二人で出掛けた。その時、カミュンが着ていたケンゾーのワンピースが、余りに眩しくて、心を動かされてしまった。
デザイナーの服を、知人が着ているのに出会ったのも初めての体験だった。
そんな淡い記憶を辿りながらのボローニャマでの道筋、
A-1、高速道路に、注意!の点滅、ボローニャ手前で事故発生!
車は、長蛇の渋滞だ。1時間半、止まったままだ。
ボローニャで出会ったカミュンは、その後5年後のパリの地下鉄で、偶然にばったり鉢合わせした。
ジャン・ポール・ゴルティエのショウの会場に行く途中での出来事だった。
ミラノに戻り、GIORGIA に電話をした。
「ジョルジャ、カミュンに会ったよ!」
「嗚呼、ブリジット・バルドーの姪っ子のカミュンね!」
「えっ!カミュンはバルドーの姪っ子なの?」
「何度も説明したわよ!」
イタリア語はほとんど理解してなかった。
ようやく、車が動き始めた。事故のため、5時間もかかって、開幕ギリギリに
ドゥーゼ劇場に滑り込んだ。
友人のメッゾソプラノは、ロジーナ、主役を歌う。オペラブッファのセビリアの理髪師は、街の美しい娘が、恋の手練手管で、
公爵婦人へと上り詰める恋の駆け引きをめぐり、
フィガロと言う理髪師が、暗躍しては、そのいざこざに巻き込まれ各々の利害と想いの内の駆け引きを、喜劇化したオペラだ。
ドゥーゼ劇場は、音楽専用と言うよりは舞台専用の劇場である。音響はあまり良くない小さな劇場だった。
遅れてギリギリの入場だった為に空いてる席を探して座ると、オーケストラボックスの直ぐ湧き、齧り付きでの、ロッシーニ、セビリアの理髪師鑑賞となった。
オペラブッファの中にある品位、知的センスを表現出来るか?、そう言う意気込みでオペラに臨んだ。
Don Bartolo役のBruno Praticoは、舞台上の動き、仕草、声、歌、どれも水を得た魚の如く、存在感をアピールし、オペラの重鎮的存在感を表現していた。
我が歌姫、林眞暎、メッゾソプラノ、Rosina役は、落ち着いた発声で、押す事も無く巧くRosinaを演じていた。
オペラ終了後、急ぎミラノへと、濃霧への心配を胸に、車を走らせた。家に着いたのは夜中の3時だった。
オペラ鑑賞は強い意志と体力が要求される。