船橋 芳信

2020 25 Feb

かなのお稽古

かな習字のお稽古が再開した。昨年7月に一時帰国された山田先生は、体調を崩され、

イタリアへ戻ることが出来なくなって、その間お稽古は中断していた。

昨年11月に戻られ、体調はすこぶる良くなられて、お元気なお顔を拝見できて、

お稽古仲間共々、喜びのかな習字事始めであった。

 先生のお年は93歳、確かに耳が遠いのは、あるのだが、瑞々しいその感性は、

老いを感じさせない。中国の書家、王羲之 おうぎしの書を前にして、この息の使い方、

力強い筆の柔らかさ、いつ見ても感動を覚えますと、説明される。

 筆を手にとって、自由自在に筆を走らせ、美しい其のかなの字に、ほれぼれとするのは、

なんと言っても、柔らかさ、力が抜けた筆先が生んで行く仮名の書体であろうか?

 先生は生徒3人分のお稽古のおさらい用の書を、3枚づつ、3部全て手書きで用意される。

「先生、1枚、一部作成されたら、コピーをいたしますので、取りに伺います。」

「あら、それは助かるわ。でも悪いわね。」

そう言って、毎回、三人分の手書きおさらい用の教則書を用意される。

 先日、自分の机の前に、私の名前の入ったファイルが置いてあったのを、見て、

中を開くと、これ迄のお稽古日誌と毎回のおさらい用教則書が毎回分入っていた。

 驚いた事に先生は、毎回三人分三部+ファイル分三部、合計六部毎回手書きで用意なされている。

これは大変な労力である。友人の中に書を習いたいという希望する人がいるが、もうこれ以上は、

教えられないと言う先生の言う意味が、やっと理解出来た。

 手を抜かない、コダワリを持つと言う事の意味は、誠心誠意其処から外れない事を意味する。

 かなの修練は、素晴らしい先生との出会いを与えてくれた。