小島 健輔

2018 20 Nov

空気に染まって思考停止していいの?

 日経の夕刊に載っていた「訪れて見たい日本のアニメ聖地88」に10月からTV放映(TOKYO MXなど)が始まったばかりのアニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』がいきなりの第3位(藤沢)に選出されていて、ちょっとビックリ!あんな社会心理学的テーマが若い人たちの共感を呼んで人気が沸騰するなど、いじめや疎外が若者の大きな悩みになっているんだと理解した。

 鴨志田一のライトノベル?「青春ブタ野郎」シリーズは14年の第1巻『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』から第9巻の『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』まで刊行され累計百万部を売り上げている人気作品で、そのフアンの蓄積もあって第3位に入ったのだろう。「ライトノベル」というには学校やSNSでのいじめや疎外による精神障害や家族への波及、社会的無視による個人の存在否定という重いテーマを物理哲学的検証も加えて都市伝説風に描いているが、学園ラブコメ的ストーリー展開がオブラートになっている。

 主人公の高二男子は“イケメンでないブタ野郎”と冴えないキャラだが、周囲の空気に染まらずケータイも持たない今時レアなインディペンデント人格として描かれ、学校や社会で疎外された女の子たちが次々と彼に絡んでストーリーが展開していく。彼自身、妹が学校のSNSいじめで解離性障害に陥って別人格化し、それを受け入れられない母親が精神を病み、兄妹が横浜の両親と別居して藤沢のマンションに住むという設定で、どう見ても重くなりそうな話がブラコン、シスコン的ラブコメ展開に救われてライトに流れていく不思議な世界だ。

 そんなライトノベル/アニメが社会的反響を広げるのは、今の社会が“空気”に支配されて個人が思考停止に陥り、いじめや疎外はもちろん、組織の知恵や活力まで削がれているという漠然とした不安感があるからだろう。学校や社会、政治の世界はもちろんだが、我らギョーカイとて同様な状況にあることは否めない。

 疲弊する店舗運営と劣化する店舗資産をどうするかという深刻な課題に目を背けたままECに突っ走り、過半が売れ残る惨状が続いてもものづくりと大量調達に夢中で売り切る仕組みと売り切る編集スキルには関心が及ばず、POSが招いた思考停止と現場スキルの衰退がどれほどの弊害をもたらしたかも忘れてAIに夢中になっている。

 表層的なギョーカイの“空気”やトップに忖度する組織の“空気”が個々人の思考を停止させ、リスクに目を瞑り組織の知恵とスキルを損ない、リアリティと活力を失っては遠からず挫折と衰退を招く。過去を振り返るまでもなく、目の前で起こっている変転劇を正視するだけで理解できるはずだ。

 今、社会にもギョーカイにも組織にも必要なのは“空気”に染まらず流されず思考停止せず自分で考え発言し行動するスマートじゃない(“空気”を泳がない)生き方ではないか。
 
 
◆小島健輔(KFM)のオフィシャルサイトはこちら