北村 禎宏

2018 21 Jan

デザイン思考

 ヘンリー・ミンツバーグの「MBAが会社を滅ぼす」が邦訳されたのが2006年。年を同じくして上梓された三品和広の「経営戦略を問い直す」では、アナリシス(分析)かシンセシス(統合)かとの問いが突きつけられて、経営戦略はアナリシスの発想とは相容れないところがあり、その真髄はシンセシスにあると看破された。それはアートに通じるものがあり、サイエンスに比して劣るどころかそれを凌駕すると。

 それから10余年を経て、デザイン思考という言葉を頻繁に耳にする時代になった。先週には二年ぶりに早稲田大学の井上達彦ゼミの面々とディスカッションする機会を得た。メインとなるテーマは、ZOZOタウン急成長の軌跡をアカデミックに辿るというものだった。聞き及ぶ事象と私なりの見解ををお話しさせていただいたが、その中でも議論の的のひとつは“デザイン思考”というテーマに行きついた。

 さらに井上先生はビジネスモデルとビジネスシステムを厳密に使い分けておられて、前者はより普遍的なプラットフォームを指し、後者はその上で特定の業界や業種、企業が展開するユニークな仕組みを称するのだという。二十数年前の私の修士論文には「新しいビジネスシステム」というタイトルを付したが、その後ビジネスモデルという言葉が登場し、その方がメジャーになった。そのように厳密に使い分けると、より精緻な思考と議論ができるようになる。私自身も大いに勉強になるディスカッションであった。

 さて、デザイン思考においては今の時代を三つの特徴で認識することから出発する。第一は、正解のコモディティ化だ。サイエンスをベースに皆が似たようなファクトに依拠して、同じようなアプローチで紡ぎ出した戦略すなわち解は似たり寄ったりになって、なんの差別的競争優位性にはならない。戦略のコモディティ化と言うこともできる。このことは私たちファッション業界にとっては、業界をあげてやっちまった商品の同質化、ファッションのコモディティ化と全く同じ現象で、52週のMDの功罪まさにここにありだ。

 第二は、世界中の消費が“自己実現的消費”に向かっていること。わが国を含む先進国で先行していたが、今となっては中国をはじめかつてBRICS後発的に経済発展をしつつある諸国においても加速し始めている。消費の二極化と言われて久しいが、真ん中のマーケットがすっぽりなくなってしまったとは、ファッションに限らずあらゆる業種の人々から共通に聞かれる嘆き節だ。一億総中流というのも今は昔で、人口動態的にもこれまでとは一変した社会に突入してしまった。

 第三はシステムの変化が早すぎてルールの制定が追いついていないということだ。ルールには世界レベルから国レベル、そして企業や組織レベルと様々な階層があるが、その全てにおいて足が絡まって転倒する状況が多発している。ことほど左様に大きな潮目に直面している私たちが拠り所にすべきがデザイン思考というわけだ。

 そこでは、「真・善・美」を見極めるための高い「美意識」が要求される。デジタルからアナログへ、論理から感性へ、ロジックからパッションへと大きくメトロノームは振れ戻りつつある。どのあたりでバランスさせるのか見誤らないようにせねば。