北村 禎宏

2019 27 Aug

隣国の民度やいかに

 香港の騒動は収まる気配がないが、お隣からの言動は心にも耳にも障るものがある。

 国際法上では決着がついているはずの事案を最高裁レベルでひっくり返す寝技には驚かされたが、前後左右を顧みない条約の破棄には驚きを超えて滑稽さすら禁じ得ない。その国の民度は人によって様々と映るが、知的水準をはじめとして教育、分化、行動様式はいかなるものであろうか。

 受験戦争は我が国なんかよりはるかに熾烈な彼の国なので、上位の人々の知識は優れているものと推し量ることができる。しかしながら、それは上位数%の構成比に過ぎず、その他大勢の人々は、自分なりの考えを持っている人と、世論や国策に流される人に分かれる。

 こんなご時世でも日本に遊びに来ることを厭わず、商売をしている市民は日本人観光客の回復を願っている。彼ら彼女らからはしっかり自分の考え方をもっていることを窺い知ることができる。
日本人の中にも堂々韓国を旅行して、何らストレスを感じることはなかったとマイペースを貫くことができている市民も少なくない。

 十数年前に「国家の品格」なる書籍が話題をさらった(読んでないので内容はわかってないのでキーワードレベルでの引用です)が、さて品格の度合いやいかに。超大国に隣接している地政学的制約から、朝貢を通じてようやく国としてのアイデンティティを認めてもらう長い歴史は、DNAに深く刻まれているに違いない。そのDNAが、凛とした一国家としての立ち居振る舞いの制約条件になっているであろうことは容易に想像できる。

 大東亜戦争時代の貸し借りを清算しようと思うと、ユダヤ人も日本人も黙っていられないことになる。白村江の戦いで援軍を出したことまで遡ろうか?いやいや、秀吉の遠征はごめんなさい…。アラブ諸国は1000年にわたる十字軍への恨みを未だ忘れ得ない。

 ことごとく過去の清算を行おうとすれば、未来にむけて歴史を積み重ねることは不可能となる。それほど私たちは過ちと誤りを繰り返す愚かな存在であることを自覚せねばならない。過去の貸し借りにこだわることは未来を建設的に志向する点においては無意味であるが、過去の経験から学ぶことを怠ってはならない。

 自国第一主義があちらこちらで台頭しはじめて、せっかくつかみかけたグローバルな世界と平和な地球が細い蜘蛛の糸の先で揺らいでいる。この愚かさは何なんだろうね…。