北村 禎宏

2019 18 Nov

社会のフェーズ転換

 社会が大きなフェーズの転換期に差し掛かっているとしか思えない。香港の混迷しかり、フランスの黄色いベストデモしかり、足元では愛知トリエンナーレでのひと騒動しかりだ。

 猿人700万年、新人20万年のこれまでの歴史的経緯の中で、国家や個人の権利という概念が生まれてからほんの数百年から千年強の時間しか経過していない。つまり人類にとってはほんの直近の出来事であり、的確に使いこなすにはあまりにも浅知恵しか有するに至っていないと言うこともできる。

 狩猟採集民の時代に人々を分け隔てるものは性別と大人子供しかなかった。農耕民族となり定住がはじまって、やがて身分や職業の分化が進行していく。それでも食べるに困る時代の人々の目標はまともに食える社会を目指すことで共通していた。感染症との厳しい戦いも平行して続いていた。感染症がかなりのレベルで克服されて、多くの国々が食べるに困らなくなったのは人類にとっては幸せなことだ。

 各国に時差はあるものの経済的高度成長を成し遂げた国においては、三種の神器や3Cに代表されるモノの所有に向かって収斂していたモチベーションと発散されてきたエネルギーの行き場がなくなってしまった。そうなると皆が向かうところは、自分の主義主張の発信と実現にモチベーションとエネルギーの矛先をフォーカスしていくことによる自己満足的自己実現になる。

 食べるための戦い、モノを所有するまでの過程ではひとつになることができていた社会に大きな軋みが起こり始めている。ダイバーシティ・インクルージョンは私企業における努力目標に過ぎず、社会においてはむしろダイバーシティ・ネグレクトの圧の方が強く働く。

 国境も国家も幻想的線引きに過ぎず、内在している多様な価値観と意思が小競り合いどころか大きなぶつかり合いをするようになってきた。この流れは加速度的に増長するリスクを孕んでおり予断を許さない。違いを理解して受け入れることはDNAにはプログラムされていないのかもしれない。

 異物を排斥することで自己を防衛している免疫系のメカニズムは集団においても同様に働くものと考えられる。それを理性で超越するだけのエシックスが私たちには備わっているのだろうか。うーむ、エシックスの時代に突入か。