北村 禎宏

2020 17 Jan

四半世紀の重み

 目覚ましが鳴る寸前の時間に、突然下から思いっきり突き上げられておよそ数十秒の間、何もできないままベッドにしがみついて耐えて。どうやら家族全員無事のようで一安心。平社員は携帯を持っていない時代だったので、固定電話でそれぞれの実家と上司に連絡。当日石川県に出張で同伴する予定だった加護野先生宅にも電話は通じて。その後、TVの映像を見て愕然とし。やがて電話はつながらなくなり。

 幸い北区の被害は軽微であったが、近くのスーパーからはパンやカップ麺がなくなり。ガソリンスタンドには長蛇の列。あっという間に、一週間ほどの自宅待機期間が経過。その後、組合活動の一環としてボランティアを始め。会社の物流業務の復旧でセンターに通い。しばらくして三田経由で東京出張に行くようになり。そして早や四半世紀が経過した。

 小学校の社会の教科書で見た関東大震災が当時およそ半世紀ほど前のこと。何のリアリティも実感もなく。だって、私が生まれる3年前には東京でオリンピックがあったもの。

 記憶が薄れていく中、震災を知らない世代にいかに語り継いでいくかとメディアは盛んに報じる。もはや関東大震災からはほとんど何も語り継がれていない。熱心な読書子は、第三国の人々に対する虐殺があったことを知っている。その間に、3/11をはじめとする大地震は幾度となくわが国を襲ってきた。

 ここ数年は、豪雨による洪水も加わって自然が何かを訴えかけている。束の間の間氷期の束の間の穏やかな気候を前提として社会を組み立てようたって、そうは地球が卸さないぞ!と。当たり前のことを見直して、

 異なる次元での当たり前にパラダイムシフトできなければ自然との共存はままならない。
共存とは、はなはだおこがましく、住まわせてもらっているのだから。