北村 禎宏

2019 14 Nov

ご時勢

 ビジネス時事を二件取り上げたい。ひとつはヤフーとLINEの経営統合、もうひとつはCVSの脱24時間営業だ。

 前者はガラパゴス日本×火の車ソフトバンクの最後の雄叫びにも聞こえる。いまや世界戦争は米国GAFA対中国BATHの一騎打ちの様相で、他のプレイヤーは割って入る余地もなく、当局が土俵の外から待ったをかける事態にまでなっている。多くの国家が標榜し保障している自由と私人の権利を公共の福祉を盾にして制限するに際して、どこで線を引くべきかはもともと極めてデリケートな問題だ。

 中国では政策的にGAFAを排斥することが可能だが、自由競争にさらされた我が国を振り返ってみると惨敗の繰り返しだ。グーグルvsその他検索エンジン、アップルvsソニエリ他家電メーカー、フェイスブックvsミクシィ、アマゾンvs楽天だけは楽天が地の利を活かして土俵際で踏ん張っているとも言えるか。

 百貨店が駅ビルにとって代わられ、商店街がSCに食われ、あらゆるリアルがECに移行していく流れは時系列のビジネスシステムの進化の過程だが、その瞬間を切り取ると熾烈な椅子取りゲームが繰り広げられ、いかにして適者生存の道を切り拓くのかが競われ続けている。世界戦は米中にお任せするとして、この雄叫びがガラパゴス日本での生存につながることを祈るばかりだ。

 かつてダイエーがホールセールクラブとして「コウズ」にチャレンジしていたことを覚えているだろうか。2002年に撤退しているので記憶のかなたに置き去りにされていても仕方がない。いまではコストコが一人勝ち(少なくとも日本では)している、あの業態である。

 米国においてその系統の起源となった大型ディスカウントストアの黎明期70年代~80年代に大きなジレンマが経営者を悩ましていた。閉店後も夜を徹して煌々と明かりをともし続けて、複数の警備員を巡回させておかないと無事に開店時間を迎えることができないのだ。屋外のいたるところにに金庫(自動販売機)が放置されていても犯罪者のターゲットにはなりにくい我が国とはお国事情が異なる。

 そこで誰かがはたと思いついた人がいた。照明はそのままで警備員をレジ係とストック係に振り向ければ閉店後の時間帯が純然たるコストアワーではなくプロフィットアワーに転じるのではないかと。つまり警備するのではなく営業すれば、すこしでも経済性が好転するのではないかと。これが24時間営業の始まりであり経済構造の正体なのだ。すなわち儲けるために24時間店を開けておくのではなく、閉店後のキャッシュの持ち出しに過ぎない時間帯に、同じコストで幾ばくかのキャッシュインがあればコストを少しでも回収できるというビジネスモデルなのだ。

 そのころの日本は、百貨店の閉店時刻は18:30で週一日は休んでいて、正月三が日も営業していなかった。地方商店街多くは20時を過ぎると人っ子ひとり歩いていないという風景であった。81年にカンザスシティでホームステイした際、ディナー後にこれからボーリングに行こうとなってびっくりした覚えがある。いくら夏休み中とはいえ、長男16歳を筆頭に12歳と8歳の三人兄弟である。夜の9時を過ぎて小学生を連れだすなんて…というのが私の正直な印象だった。ボーリング場に行くとさらに驚きが、端から端までレーンがびっしりと小学生の家族連れや子供たちだけのグループで埋め尽くされているではないか。しかも投げ終わったのはおよそ23時頃。

 その後、日本でも生活時間の後ろ倒しが急速に進行していくことになる。人々の活動の24時間化が進展する中で同時並行的に急速に発展した業態の一つがCVSであり、深夜から明け方まで売り上げを取りに行くことにフォーカスが当てられて今日に至っている。アメリカにおけるルーツとは動機付けも経済構造も全く異なるのがCVSの24時間営業なのだ。

 最も売上が高いセブンの平均値からフェルミ推定的な議論を展開してみよう。毎月2000万円の売上、人件費を15%と仮定すると300万円。スタッフひとりあたりの時給を1000円と単純化して考えると、3000人時が吸収できる。24時間×30日は720時間なので、およそ4人強のアルバイトを賄うことが可能だ。オーナー夫婦や正社員は時給1000円というわけにはいかないだろうから、およそ2.5人~3.5人分が吸収可能と試算され辻褄が合う。

 24時間営業に対する本部からの支援金を10万円から12万円に引き上げるとあった。一日あたりに換算すると4000円なので、バイト4時間分の補填という計算だ。とてもじゃないが割の合う金額を満たしてはいないのが大半の店舗の実態であろう。働き方改革は労働法の庇護下にある労働者にしか目が向けられないが、経営者や自営業者のブラック度合いは社会から見過ごされてしまっている。

 CVSはビジネスモデル事態がブラックな超過激搾取システムの可能性も高い。もともとFCにはその影がつきまとってはいるが、そもそも資本主義という土俵自体が資本と労働の格差をストレッチさせ続ける搾取モデルなので、それが嫌なら資本主義をやめましょうという議論にならざるを得ない。

 ところで、多くの総合アパレルはマッシュGにしてやられて終わりなのだろうか。老舗セレクトの面々は東京ベースの台頭をどう考えているのだろうか。累々と横たわる敗残兵の間を縫って頑張っているユニクロやチュチュアンナは果たして中国で生き残ることができるのだろうか。

 いつか見た風景、どこかで見た風景と感じることができて、決して初めて遭遇したケースだなどとは言わないのが経営者の必要条件だと看破した三枝匡氏の言がしみじみと効いてくる。