北村 禎宏

2019 12 Nov

国家の影

 香港での混迷状況に収束の目途が見えないどころか徐々に益々エスカレートしているようにも感じられるのは私だけでないだろう。。

 国家とは何かと問われたときに、それは「唯一の合法的な暴力装置である」との命題を佐藤優の著書から学んだのはほんの10年ほど前のことだ。氏の獄中記は読み応えがあるとともに、事後の読書連鎖の示唆を数多く得ることができる秀作だと強く印象に残っている。

 現在の国家の定義と国境の規定に従えば、国内においては自力救済が禁じられて国家による裁定(決着)が施されることがその要件となる。一方で国家間の紛争の解決には最終的には暴力による勝ち負けに頼らざるを得ないのが地球レベルの秩序維持の限界であることは否定できない。したがって、最終的紛争解決の切り札になるのは暴力行為すなわち戦争による決勝戦になることが宿命となる。

 そのような環境下で国家が国家たる所以は暴力装置としての軍備もしくは警察力を備えているかどうかという問題に帰結する。その意味では香港の警察の行動は合理的であると評価することもできるが、一般市民感情としてはいかがなものかというギャップが事をややこしくしてしまう。
体制側で秩序と権威を構築維持する立場と、庶民として平穏な日常を継続していきたい立場は必ずしも相容れることはない可能性が高い。

 論理で解決できないことに対しては、暴力をもって対抗することは私たち人類のみならず動物の歴史的存在的性だ。その抗うことができない縁の線上で生死をさまよっている若者のことを憂うのか、サクッと見切って前に進むべきなのか、はたまた現状を受け入れるべきなのか、

 一段も二段も高いレベルでの思考と議論が求められてしかるべきだが、私たちにはその視座とそれに足るだけの教養が乏しいのがもどかしい。