上野 君子

2018 12 Jul

食事を共にとるのは親密な行為

今さらという感じだが、家族でも友人でも、仕事のクライアントであっても、共に食事をするということはとても大事なことだと痛感している。

長年続けている年に二度の海外(パリ)取材も、以前のようにレストランで会食をすることをなるべく避けて、最近はホテルの部屋でゆっくりということが増えた。節約もできるし、何より次の日のための体力温存が切実だからだ。

今思うと不思議な位、昔は買い物や食事が、仕事のストレス発散だった。特にパリはおそろしいほど、その欲望を満たしてくれる場所である。 私はいわゆるブランドフリークではないが、パリほど美しいものの発見に心躍るところはない。蚤の市にもよく通った。 それが、今は買物という行為にあまり興味がなくなった。自分の年齢もあるだろうし、時代性も影響している。海外の仕事というのはストレスに満ちているから、発散の場や自分へのご褒美が必要というわけだが、食事(しかもディナー)というのはもっと別の側面がある。

今回、外で人と夕食をとったのは、7泊のうち2回だけ。一度は仕事関係者とフレンチのレストラン、もう一度は友人宅にお邪魔して友人手作りの食事だったのだが、普段なかなかゆっくり話ができない人と食事しながら会話することはやはり大切だなと痛感した。 もちろん取材に翻弄される滞在だし、パリならではの美術館巡りも私にとっては欠かせないが、究極は人である。共に食事をするというのはやはり親密な行為だと思った。今回の2回の会食から、私は多くのインスピレーションをいただいた。

昔から知っていても一度も食事をしようということにならない人もいるし、知り合って日が浅くても食事を重ねる関係もある。 プライベートでも仕事関係であったとしても、お互いに食事をするというのは稀有な間柄に違いない。共に食事する機会を持つということは、そう容易に得られるものではないから余計にそう思う。

世の中には食事に興味がないという人が意外にいるものだが、私はやはり食事という行為を大事にする人、おいしいものを知っている人が好きだ。食事に誘っていただくというのはシンプルにうれしい。