北村 禎宏

2018 25 Apr

むしろ狭くなりつつある世界

 新入社員研修を通じて今時の若い人々に危機感を覚える。一言で言い表せば「軽い/浅い/薄い」ということに尽きる。

 まずもってノリが軽い。研修における演習に対する取り組み姿勢はまるでゲーム感覚だ。情報やツールをゲットできた際にはガッツポーズやハイタッチ。思わず“オイコラ!仕事だぞ!”と言いたくもなる。

 その上で思考も行動も表面を撫でるだけで全く深みがない。その結果として、極めて薄っぺらなプロセスとアウトプットにしか至らない。これらの傾向は二つの点に収斂される。全体像を掴むことと先読み行動をすることがますます苦手になった若人たちであるが、もっぱら彼ら彼女らだけの責任ではないだろう。

 ネット社会になって世界は飛躍的に拡がるとともに繋がったというのが一般的な実感であろう。その一方でチャットやツィート、ユーチューブが私たちから何を奪い去ってしまったのか。

 ワンセンテンスは段落の一部であり、段落は章のパーツに過ぎない。章だてはより大きな文脈に依存している。文脈という全体像の中にいまの私のつぶやきは存在する筈だ。ユーチューブの動画にも意味情報と世界感はないわけではないが、それは決して大河ではない。

 エージェント同士の繋がりはネットを通じて幾何級数的に拡大したが、当のエージェントが極度に矮小化してしまったのが現代であり、その圧力が若い人々の一挙手一投足に好ましくない影響をおよぼしている。

 現象としてではなく概念として世界を構成して認識する力。これすなわち哲学力であるが、ネット社会が私たちの哲学的世界をどんどん狭めているとしたら皮肉なものだ。一見して広くなったと思っていた世界が、実はむしろ狭まっているとしたら笑えない話しだ。笑えない話しが深刻なレベルで進行しつつあることを若者たちは私たちに教えてくれている。